15日は朝、キャンプ・シュワーブのゲート前を通るときに、ダンプカーやトレーラー車が入るのが阻止されていて車列ができていた。やがて機動隊により旧ゲート前で座り込んでいた市民が強制排除され、車列が動き出したが、車内から応援しつつ海上行動に参加するためテント2に向かった。
15日は午前8時50分頃、カヌー8艇で松田ぬ浜を出発した。寒さの厳しい日が続くが、今日は陽が差し波風が穏やかだったので助かった。
連日、キャンプ・シュワーブの浜では米軍のゴムボートや水陸両用車による訓練が行われている。特殊作戦のチームなのか、黒いウェットスーツを着た海兵隊員たちが2隻のゴムボートに乗り、カヌーが通り過ぎるのを待って海に乗り出していった。
キャンプ・シュワーブの浜に沿って北上し、長崎(辺野古崎)の岩場に入った。この日は3隻の抗議船が出ていて、スパッド台船と緑のクレーン付き台船では作業員の姿が確認でき、海底ボーリング調査が行われているようだ、との連絡があった。
浜での作業がないかを岩場で確認してから、海底ボーリング調査に抗議に行く予定だったが、長崎の近くで海底の調査をしている作業船が1隻あった。前日は瀬嵩側の埋め立て予定海域で調査をしていたとのことで、海底の状況を音波探査し船上のモニターで確認しているらしい。
埋め立てに向けての調査であり、そうであるなら抗議しないといけない。予定を変更して、調査船に抗議することにしてカヌー全艇がフロートを越え、作業船に近づきながら調査をやめるよう訴えた。
中潮で満潮に近かったが、あたりは浅い岩場で海上保安庁のゴムボートも簡単に近づくことができず、調査船は作業を中断して沖の方に移動していった。
そのあとは午前中ずっと浅瀬の方でカヌーを漕ぎ、抗議行動を続けたので調査船は近づくことができず、しばらく青いクレーン付き台船の近くにいたが、あきらめたのか海保の浮桟橋の方に引き揚げていった。
せっかくの機会なので陸上部での作業の様子も確認した。海岸の護岸が崩れているのは一昨年10月の台風によるものだ。この辺りは仮設道路が造られ、埋め立てられるものとして放置されている。
その上には割栗石を詰めた根固め袋材(布団かご)が何段にも大量に積み重ねられている。仮設道路や仮設桟橋を造るために準備されているものだ。連日、ゲートからダンプカーに積まれて入ってくる割栗石は、このように使用されている。
宜野湾市長選挙の告示もまじかに迫り、この日は午後からいろいろ取り組みがあるとのことで、海上行動は午前中で終わる予定だった。カヌーがフロートの外に出て、引き上げる直前になって作業船が海底調査を再開したので、残ったカヌー5艇で改めてフロート内に入り、調査に抗議した。
作業船は再び沖の方に移動していったが、陸の方ではアルソックに加えて、米軍の警備員やら沖縄防衛局やらMPやらが浜に出てきた。こちらは海上で抗議行動をやりたいだけなので、陸に上がる意思はない。時間も詰まっていたので浅瀬の岩場から移動し、MPらが見ている前でフロートの外に出た。
MPは何の注意もせずに様子を見ているだけで、カヌーがフロートの外に出たのを確認して去っていった。その後、海保の保安官たちもゴムボートに戻った。潮が引いて作業船が調査をするのも難しくなり、カヌーチームもあとの予定があるメンバーがいたので、午後1時半頃に現場を引き揚げた。