8日は所用があったのでカヌーによる海上行動は休み、早朝のゲート前行動に参加した。何時もは作業車が入る旧ゲート前での座り込みに参加するのだが、今日は歩道側の抗議に参加しようと思い、道路向かいの高台から旧ゲートの様子を見た。
ゲート周辺の様子が俯瞰できるのだが、機動隊が壁となっていて、座り込んだ市民が強制排除される際の手荒さ、暴力が見えづらい。車道をはさんで自治労の組合員80人ほどが強制排除の様子を見ていたが、どれだけ実態が把握できたか。当たり前のことだが、実際に座り込みに参加するのと、外から見ているのとでは大きな差があることを強く感じた。
歩道からの抗議は警視庁機動隊が前面に出て排除し、体を押さえつけて身動きできなくする。機動隊が前に立ちはだかり、道路に出ること自体が難しくなっているが、車列が長い分、抗議する人が多ければ機動隊も対応できない。少しばかりの勇気と決断が必要だが、そばで見ているのではなく、抗議と抵抗の意思を行動で示したい。
https://www.youtube.com/watch?v=miCJ8onaXAQ&feature=youtu.be
ここまでやらなければならないのが沖縄の現実であり、それを強いている日本人は支援ではなく、沖縄に米軍基地を押し付けている自らの義務として、辺野古新基地建設阻止をたたかうべきだと私は思っている。ヤマトゥから辺野古に来るなら、見学ではなく体を張ってたたかいにきてもらいたい。
ゲート前から強制排除されたあと、機動隊のバスと鉄柵で囲まれた中に押し込められる。法的根拠のない不当拘束が続けられているが、体調不良を訴える人も出てくる。この日も高齢の男性が具合を悪くして、救急車で搬送された。戦争を体験した皆さんが、「戦後70年」の沖縄でこのような目にあっている、胸が痛んでならない。
警視庁帰れ!と連呼しながら新ゲートに移動し、集会を開いた。県警機動隊のマキシ中隊長が出てきて、にらみ合いとなった。時代劇の悪代官か、と思わせるような目つきでにらみつけ、強制排除する機会を狙っていたが、現場リーダーとの話し合いで機動隊は引き下がった。
8日は真珠湾攻撃から74年目だった。沖縄戦からは70年、これだけの長い時間が経って、それでもいま沖縄に米軍基地があるだけでも異常なのに、さらに新しい基地を造って提供しようとする。異常が異常と感じられなくなる、この感性と認識の鈍麻が恐ろしい。