沖縄師範学校龍潭同窓会編『傷魂を刻む わが戦争体験記』(龍潭同窓会)は、1986年11月に発行されている。「発刊によせて」にはこうある。
〈本校は、明治十三年六月二十一日、那覇西村に創立されて以来、第二次世界大戦の結果、昭和二十一年一月二十九日の「行政分離」に至るまでの六十六年に亘る歳月の中で四千名の卒業生を送り出し、県内の初等教育界は勿論、他各界の指導者を輩出させました。その間において、昭和六年の満州事変を境に国の進路が大きく旋回し、時の流れとともに皇国史観による軍国主義教育が本流となり、私たち教師も、時の政府の誘導する「皇国民錬成」の教育に挺身し、戦争への本流の渦の中で「醜の御盾」の育成に全力を注いで驀進、数多くの教え子たちを戦場に送り出してしまいました〉。
沖縄戦から40年が過ぎた1980年代半ば、戦後の終わり、戦争体験の風化、が言われた時代の流れに抗うように、龍潭同窓会の総会で「戦争体験記録集」の発刊が決定され、会員の原稿を集めて『傷魂を刻む わが戦争体験記』が編まれた。構成と寄稿者数は以下の通り。
第一編 痛恨限りなく(沖縄戦場体験記)
第一章 郷土防衛に命捧げて(防衛隊・現地入隊現役兵)……7名
第二章 醜の御盾と教えられて(鉄血勤皇沖縄師範隊)……12名
第三章 教師という名のもとに(公務は肩に重く)……11名
第四章 生きられる場所を求めて(一般住民避難手記)……15名
第二編 生と死のはざまにて(国外・県外での戦争体験)
第一章 戦塵に塗れて(現役・応召兵の戦場体験)……17名
第二章 銃後はどこにもなかった(国外・県外での一般住民としての戦争体験)……8名
第三編 望郷の悲しみに堪えて(集団疎開学童引率教師の手記)……17名
第四編 戦いの火は消えたけれども(抑留生活と終戦直後の教育事情)……12名
第一編第二章に山内昌健氏(本科一年)の「狂女の首」と題された文章が載っている。冒頭にこう記されている。
〈沖縄師範鉄血勤皇隊は、昭和二十年三月二十八日に編成されたが、その間、菊水隊(斬込隊)、千早隊(情報宣伝)、野戦築城隊(一中隊から三中隊まで編制)、自活班、勤皇隊本部とに分け生徒はそれぞれ各隊に配置された〉(P134)。
自活班に配置された山内氏は、砲弾が炸裂する中、危険を冒して野菜類の調達に駆け回っていたが、〈四月一日に米軍が上陸して一週かもたたぬうちに、自活班は全面的に活動が停止された〉(P134)。その後、自活班は第32軍司令部壕の内部照明を担っている二基の水冷式ディーゼル発電機の管理の手伝いをまかされる。
その一つ、第二発電機は第五坑道口から東側におよそ5、60メートル離れた大きなガジマルの木の下に据えられていた。山内氏はその仕事場の近くで、一人の女性が虐殺される場面を目撃している。細かい部分に違いはあるが、渡久山朝章氏や川崎正剛氏が目撃した虐殺と同じ事件である。第五坑道口は第六坑道口と同じく首里城の南側斜面にあった。
第32軍司令部壕の説明板問題を考えるうえで欠かせない資料であり、以下に引用して紹介したい。
〈これから私が動転した記憶の糸をたぐり出そうとしている出来事は、確か昭和二十年の四月三十日か五月一日あたりだと記憶している。私ども五名の自活班隊員は、昼の部の上番下番の交替を済ませ、すぐ持ち場についた。
第五坑道から小径づたいに小高い土手を上りつめると、土手のてっぺんに仮便所があった。急傾斜に三本の支柱を突立てタテ桟、ヨコ桟を組み合わせ、その上に長方形の四角を二つくり抜いたベニヤ板をのせ、テントカバーを切り裂いて囲いにした誠にお粗末なもので、下から見上げれば矢倉のような格好をしていた。この仮便所は多くの軍人、軍属、女性に利用されたが、弾雨の合間を縫って用を足さなければならず、命がけであった。特に女性の場合は、たとえ小用たりとも男性のようにあちらこちらに用を足すことができずみじめな思いをしなければならなかったであろう。
十日程前、突如異変が起こった。この仮便所が砲弾炸裂によって吹き飛ばされてしまった。その時二人の兵士が戦死した。一人は干上がった水田の片隅に、もう一人はこの便所の傾斜の途中に引っかかり、糞まみれになって倒れていた。
今、この土手の上の小径に立って水田の方に目をやれば、夕闇の中に大きくふくらんだ腐乱死体が、前に倒れたそのままの姿勢で、誰にも手を触れられず、誰にも構われずに、よどんだ空気の中にいっぱい腐臭を放ちながら草むす屍と化している。
冷却用水を第五坑道から私と相棒の二人で何度も行き来して運び、第二発電機の貯水用ドラム罐二つにいっぱい満たし、しばらく小休止をしていた。
夜中の十一時頃だったろうか。三名の兵が手にエンピ(スコップ)を携えて目の前の階段を下り、水田の東側の畦道を通って行った。別に気にもとめずに唯見ているだけであったが、しばらくして、再び上の小径から人影が現れ次々と階段を下りてきた。曹長を先頭に、頭にタオルを巻きつけた一人の兵が両手を後に縛られ、目の前を護送されていった。モンペ姿の沖縄の婦人が四人、一行の中に加わっている。“これはただごとではないぞ!”私と相棒の二人は、惹きつけられるように上の小径へ駆け上がり、一行を目で追った。
水田の一角に畳一畳ぐらいの小さな土畝があって、その土畝に電柱が一本意味ありげに立っていた。一行はその電柱の前で立ち止まり、後手の兵士をしっかりと電柱に縛り付け、その下に二人の兵士がエンピで穴を掘り出した。大凡の見当は付くが、その穴が文字通り墓穴となるのだ。第五坑道の前には野次馬がぞくぞくと集まり、陰鬱な空気が漲り始めた。野次馬は身じろぎもせず唯その成り行きを見守っている様子だった。誰も彼も顔をこわばらせてじっと見守っているという感じに受けとれた。あちこちに照明弾が打ち上げられているのであろう。あたりはぼんやりと明るい。完全に死刑執行の用意が出来上がった頃、一団は大きくゆれ動いた。突然、その一団からとん狂な声が聞こえた。「ヘイタイサン、ワッサイビン、ワッサイビン」。私は初めてその兵士が女であることを知った。軍刀を携えた曹長の声がした。はっきりと聞きとれなかったが、低いけれども凛然とした声であった。「…お前たちの仇だ!……スパイだ。……国賊なんだ、○○子の仇だ………」などの言葉がはっきり聞きとれた。曹長の手から一人の婦人の手に銃剣が渡された。曹長はさかんに「さあやれ」と言っている様子だった。けれども彼女は尻ごみしてなかなか手が出せない様子だった。曹長は焦りに焦ってだんだん語気が荒くなってきた。曹長が焦れば焦る程、四名の女は硬直しきって動こうとしなかった。とうとう曹長は業を煮やして、銃剣をふんだくり、「こうするんだ、見ておれ。」と叫んだかと思うと、一突きグサッと突き刺した。女は怖ろしい悲鳴を発し、見る間に黒々とした血潮で血塗られていった。女はしぼるような声で再び「ヘイタイサン、ワッサイビン……ワッサイビン」と叫んでいるようであった。その声を聞いた一婦人が、狂気したかのように曹長から銃剣を奪い取るや、いきなり所構わず二度三度続けざまに突き刺した。アッという間の出来事だった。その婦人は顔や手に返り血を浴びているらしく夜目にもそれらしいものが伺えたが、ヘナヘナとその場に崩折れてしまい、肩で大きく吐息をしだした。次の女も、また次の女も、まるで悪魔に翻弄された夢遊病者のように、悲鳴とも、奇声ともつかない奇妙な叫び声をあげながら、盲滅法に突いた。女の悲鳴はますます痛ましいものとなって、谷間一帯にこだました。最後の婦人は気丈夫であったのか、それとも昨夜戦死したA子の無二の親友であったため、女のしでかしたスパイ行為がよっぽど腹に据えかねたのであろうか。あるいはまた、三名の婦人が致命的な手傷を負わせていないのを歯痒く思ったのであろうか?いずれにせよ余程憎悪の一念に燃えていたのであろう。憤然とした態度で、銃剣をしっかりと握り締め、しばらく女の前に立ちつくしていたが、憎悪の一念が一度にどっと沸とうしたかのように、猛り狂ったのである。
「友の仇!思い知れ。……死ね。死ねェ。」刃は深々と女の体内に幾度もくい込んでいた。彼女の無我夢中のうちに事が終わり、二、三歩後ろへよろよろとよろけて虚脱の状態でその場に立ちつくしてしまった。女は断末魔の悲鳴を発しながら首を大きく左右にふりふり悶絶した。頭のタオルがはらりと落ちた。丸坊主であった。女の?は前かがみにのめり、頭がガクッと前に垂れた。
曹長はこの成り行きをまるで無視しているように、ふてぶてしく眺めているふうだったが、やがてその女の横へつかつかと寄って来て、軍刀をスラリと抜いた。そしておもむろに斜上段に振りかぶり、秋水一閃。気合諸共振り下ろした。………。「アッ」と私は思わずブルッと身振るいがした。女の生首が見るも無惨にだらりと垂れ下がっていたのである。曹長はこの時ばかりはさすがに大きく吐息をついて、再び軍刀を斜上段に振りかぶり、ヤッとばかりに斬り下ろした。血飛沫が新たにどっと吹き出して一面を黒々と塗り染めていった。
空前絶後の出来事としか表現できない程すさまじい光景であった。人々は愕然とした姿でしばらく立ちつくしていたが、やがて悪夢から覚めたように無言のまま散り始めた。極度に鬱積した緊張感と恐怖が私の五体から抜け出ると、新たに空しさが湧き起こってきた。
闇がこの惨事の後始末をするかのように、一帯を覆い包み、夜はしんしんと更けていった。照明弾も上がらなければ、砲声もまばらになった。明け方対岸の繁多川上空に照明弾が打ち上げられ、輝かしい供養のためのローソク代わりとなった。迫撃砲が識名の方向で一面に炸裂した。その砲声はさしずめ処刑された女への供養のための礼砲だ。私はそう感じそう信じたかった。
私は生まれてはじめてこんな恐ろしいものを見た。留魂壕へ帰って、じっとそのことを思い起こしていると、どうにも目にちらついて眠れなかった。首を振りながら断末魔の悲鳴を発してなおも嘆願している姿、しぼるようなあの声が、あの姿が、そして炊事婦たちの怖ろしい仕草が、「命令だ、突け」と言った曹長の声音までが。最後にはその曹長によって首を切り落とされてしまった。垂れ下がった生首!転がり落ちる首等々。この忌まわしい出来事が、もし仮に、昼間に執行されていたら、私たちはとうていこれを凝視できなかったであろう。どこからともなく漏れてくる照明弾の薄明かりが、闇の中に溶けこんで、ぼんやりと一団の挙動を映しだし、真っ赤な血の色も、軍刀の光も、鮮明には見えなかったために、このむごたらしい処刑の情景を、たじろぎもせずに見ていることができたのだと思う。
その日、私は幾度も悪夢にうなされてとび起きたーーー。
やがて、彼女のうわさが流れてきた。彼女は、太平洋戦争勃発後、我が軍が破竹の勢いで戦勝に戦勝を重ねていた頃、サイパンから沖縄の郷里浦添村へ引き揚げてきた。ところが彼女はき印だった。精神異常者だったのです。浦添村のどこの人であるか、何という名前なのか定かではないが、山原への疎開もせず、沖縄戦突入後も家族と共に墓の中を防空壕がわりにしていたが、いつの間にか家族が気づかぬ間に、墓をぬけ出してひょこひょこと首里の方向へ歩き出した。その後家族はどうなったか、又彼女がいつ頃墓をぬけ出したのかこれも定かではなく知る由もない。とにかく首里の軍司令部壕の真上あたりで、降りしきる弾雨の中を、歌を歌いながらさ迷っていたというのである。
挙動不審の彼女は捕らえられてどこかへ連れ去られた。頭髪は乱れ虱がいっぱいたかり、衣服はよれよれであったという。そこで断髪され丸坊主にされて軍服が与えられたという訳だ。当然尋問を受けるのは明白で、結果的にはスパイ嫌疑の理由は、彼女が懐中電灯で何か合図をしていたというのである。
尋問を受けたとき、彼女が気狂いであるからには、順序立てて真っとうな答えはできなかったろうし、第一どう考えても、果たしてこの気狂い女が、電灯でもって敵と交信できたのかどうか、しかも、末吉森と虎頭山更にその北の浦添城址の向こうの敵の陣地から信号が見えるのだろうか。彼女が確かに電灯を持っていたのかどうかについても誰も知らない。彼女が敵のモールス信号を知る筈はないし、仮に電灯による信号を送ったとしても、誰が、どこで、どのようにして信号の仕方を教えたのか、甚だ疑問である。
このように考えていくと、彼女のスパイ行為なるものが、全くでたらめで、疑問だらけである。結局彼女は、でっち上げによるスパイ嫌疑で、私たちの面前でむごい殺され方をしたのである。
処刑の日の前前日の晩、首里城界隈に大量の敵の砲弾が撃ち込まれたことは事実であり、第五坑道の炊事班所属の一女性が、小用のために壕外へ出ていたころ、期せずして壕前で炸裂した一発の砲弾により、あえなく命を落としたことも事実であった。四名の炊事婦たちが、「友の敵を討て」とおだてられ、見せしめのための処刑に狩り出されたことは、何とも名状しがたくあわれである〉(P136〜141)。