渡久山氏は、第32軍司令部壕の第6坑道口の下にあった師範学校の実習田で、頭を坊主刈りにされた女性が殺害される場面を目撃し、『南の巌の果まで』に書き記している。司令部壕の近くで行われた住民虐殺についての貴重な証言である。以下に引用し紹介したい。
〈夜に入って厠へ出かけた帰り、奇妙な叫びに近いものを聞いたような気がした。
耳を澄ますと確かに聞こえてくる。叫び声をたよりに歩を進めると、それが悲鳴であることが判然として来た。しかもそれは女のものである。俗に言う「絹を裂くような」とかそんなものではなく、それは動物的な絶叫といったような声なのだ。
こんな夜、一体何が起こったのだろうか。しかもそれは野外で起こっているらしい。悲鳴に混じって同じ女声の掛け声らしいものも聞こえて来る。ここらあたりは普段、外の方で女の姿を見かけることも少ないというのに……。なおも近づくと、そこは干上がった田圃の中である。かつて私たちが掘った軍司令部第六坑道口の下、大きな溝(小川と言った方がよい位の大きさであるが)をへだてた下に広がる私たち師範学校の実習田の中なのだ。
中の畦に立つ電柱を十四、五名の人がとり囲んでいる。
溝のこちら側では多数の兵隊たちが見下している。そこは何時か私が発電機のベルトで左手を怪我した所だ。
「向こうに行くんじゃないぞ」とこちら側の兵士に言われて、その群に加わり、田圃の中の様子を窺う。月が出ていたのだろうか、よく憶えてはいないのだが、薄暗いのだけれども大凡のことは分かる。或はそれは時折上る照明弾の明かりで認めたものだったのかも知れない。
田圃の中では兵隊たちに囲まれた中で、白鉢巻姿も凛々しく甲斐甲斐しい五、六名の女たちが「エイッ、エイッ」と交互に短刀を突き出している。「エイッ」と突き刺す度に「ギヤァ」という女の悲鳴が起る。それに混じって「しっかり突かんか」という男の叱咤と怒声がする。
パーンと弾ける音がして照明弾が上がる。中で突かれて悲鳴を上げている女は、凄絶な悲鳴の主は明らかに女だ。それは田圃の中の電柱に後手に括り付けられている。
頭は坊主狩りにされているのか丸く見える。その丸い頭が悲鳴と共に激しく動く。
事の様相が判ると思わず慄然とし、鳥肌立って来た。激しい震えが全身を襲う。寄ってたかって一人の人間に短刀を突き刺しているのだ。衆人環視の中で、しかも命令、監督の下にある女たちが女を………。然も同じ日本人ではないか。
こうして何十回突かれたであろうか。どんなに非力な女性とはいえ、鋭利な短刀を振るえばそこには凄惨な状況が展開されたであろう。迸る鮮血は返り血となって刺す方の女たちもそれを撥ね浴びているかも知れない。(夜目遠目でそれが分明でないことが私をして注視を続けさせているのである)
残酷極まりない集団蛮行はなおも続けられて行く。鳴き声と悲鳴は、今や「ギャオー」と嗄れた動物的な断末魔の声に変わった。一方短刀を突き刺す女たちの掛け声もその凛々しい鉢巻き姿に似合わず泣き声のようなものに変わって行く。
この時、「どけ、どけ」と男が一人、鉢巻きの女たちを押し退け囲いの中に立ち、ギラリと刀を抜き放った。「いよいよ殺るのか」と思う間もあらせず「スパイの末路、見せしめだ」と言うや否や、女めがけて刀を大上段から振り下ろした。
「バシッ」という音と共に女は首垂れ、声を立てなくなった。
ハッと我にかえった時、あたりの兵たちは暗い中に無言で消えていく。慌てて足速に自分のほら穴へと急いだ。
後頭部で左右の手指を組み、両腕で耳を押さえ頭を抱え込むようにして横向きに寝ている。無理に目を閉じ、頭をかかえ込んでいる腕を強く耳に押し当てるが、あの光景がまざまざと脳裡に浮かび、断末魔の悲鳴が耳をつく。忘れよう、思い出すまいとすればする程、あの時はどんな顔立ちの女か知らなかったのだが、激しい苦悶とすさまじい怨恨に目玉をひんむき、口を張り裂けんばかりに開いて坊主頭を振り立てている物凄い形相の女が、女の顔が迫って来る。
「私じゃない。私は見ていただけだ」と心の中で叫ぶ。「あの様な中で、私に何が出来たのか。そんな目で見詰めないで」
茹で上がった海老のように体を固くして曲がって寝ているが、その震えは一向に止まらない。
スパイ、それは国を売り、国民をも敵方に渡す輩、売国奴だ。そして戦場でのスパイ行為は味方の人命をも敵を売ることにもなりかねない絶対に許し難いものである。売国奴、卑劣な輩、裏切者、人非人等の最低の言葉はそれこそスパイに与えられるべきものだろう。
けれどもあの女がスパイだったとは、私にはどうしても考えられない。仮令スパイが冷血非情だとしても、自分の郷土で戦が戦われている時に、しかも同胞が目の前でバタバタ殺されている時にスパイ行為なんて全く考えられない。そしてスパイとして惨殺されたのは女の人ではないか。どうしてそんな大それたことが出来よう。
第一、この様な戦況下でスパイ活動が可能だろうか。前線も後方もないこの熾烈な砲爆撃下、どのような敵との通報手段を持ち得よう、一介の住民が。弾雨下を、前線を境に往復するとしたら、それこそ命が幾つあっても足りないのだ。そして大陸での迂回潜行ならいざ知らず、この南海の小島のたかだか十数粁の線で相対峙している彼我の間をどう抜けて行くのか。一人たりとも敵方への駆け込みを許さない我が軍と蠢動に対しても雨のような砲火を見舞う敵軍、この送迎の場をどのようにかわせるというのか。
仮令、万が一、何らかの敵との連絡手段が残されているとしても、敵にとってこのようなスパイが必要であろうか。今や敵が我が動静を知ろうと思えばもっと効果的な方法があるのだ、安全、確実にして能率的な方法が。現に今、地上からの抵抗を全く受けなくなったトンボ(観測セスナ機)からは、兵や民間人の区別やその動きはもとより、一木一草の所在まで掴めているのではないだろうか。
「幽霊の正体見たり枯尾花」怯えている者はどんな事にも驚くの譬、こうした戦況不利の中では総べてに疑心暗鬼、このような疑惑が仕立て上げたスパイではなかっただろうか。このように考えてくるとあの女が可愛相になって来る。首を打たれて絶命し、グッタリ首垂れた姿が哀れに思われて悲しくなった。涙がスーッと頬を伝わる。あの鉢巻きをした女たちも泣き声に変わっていたことを思い出す。
やがてあの斬殺された女の話が伝わって来た。狂女は頭に虱が湧き、髪を切られて風呂敷を頭に巻いていた。家族の制止も聞かず猛爆下を浦添の墓からとび出したというのだ。「墓に入ることは後生(ぐそー)を汚すことだ」と喚きながら………。
こうして洞窟から洞窟へとのぞき回り、方言でまくし立てる坊主頭の狂女をスパイとして捉えたのである〉(P90〜94)