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資料:八原博通『沖縄決戦 高級参謀の手記』より

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 八原博通著『沖縄決戦 高級参謀の手記』(読売新聞社)は、沖縄の施政権が返還された1972年に刊行されている。首里の第32軍司令部壕に設置予定の説明板の文案から、日本軍による住民虐殺と慰安婦の記述が、仲井真知事によって削除され問題となっているが、同問題を考えるうえで欠かすことのできない文献である。参考までに当該部分を紹介したい。
 八原は第32軍の高級参謀として、司令部壕内の状況を詳しく知り得る立場にあった。その八原が書き残した手記は、資料としての価値も高い。八原が記した首里の司令部壕内と周辺における慰安婦、住民虐殺に関する記述は以下の通りである。

〈洞窟内の異色ある存在は、女性の群れである。彼女らは、死なば諸共の平素の願いを許されて、平時態勢をそのままに洞窟入りをした。嗚呼、軍司令部のみならず、これら健気な沖縄の花ともいうべき幾百千の妙齢の子女が、全軍の将兵とともに、島尻の山野至る所の地下に潜ぐり、鬼哭啾々、悲歌断腸の運命を甘受せんとしつつあるのだ。彼女らの中には、その父や兄弟と同じ死線に立っている者も少なくない。
 参謀長の指令で、戦前と同じく軍首脳部洞窟に崎山、与儀、仲本、渡嘉敷、奥村らの諸嬢が引き続き勤務していた。彼女らは皆良家の子女である。したがってどうということはないが、作戦を議し、死の命令を起草する参謀室に濫りに出入りすることは遠慮願いたい。考えを同じくする神参謀らとともに、婦人当番制廃止を参謀長にお願いした。
 将軍は笑いながら、「女のことが気になるようでは、お前たちは修養が足らぬ。お前たちは廃めたければ廃めるがよい。軍司令官閣下と俺はそのままにしておく」とさっぱりした裁決振りだった。
 洞窟内には、また別種の女性の一群がいた。参謀室から遠く離れた第六坑道には、はるばる内地から渡来し、長堂の偕行社に勤務していた芸者十数名と、辻町の料亭若藤の遊女十数名が収容されていた。一日一回ぐらい第六坑道を通るのは、気分転換によろしいとあけすけに冗談をいう者もある。しかし彼女らの態度は、今や猥らなものではなく、また浮いた調子でもない。炊事の手伝いもすれば、野戦築城隊と一緒に泥まみれになって土運びもする。軍司令部の洞窟に入れてもらい、大切な軍の糧秣を頂戴しているのだから、全力を尽くして軍隊のお手伝いをするというのが、いじらしい彼女らの端的な気持なのだ〉(P178〜179)。

〈戦闘開始後間もないある日、司令部勤務のある女の子が、私の許に駆けて来て報告した。「今女スパイが捕えられ、皆に殺されています。首里郊外で懐中電灯を持って、敵に合図していたからだそうです。軍の命令(?)で司令部将校から女に至るまで、竹槍で一突きずつ突いています。敵愾心を旺盛にするためだそうです。高級参謀殿はどうなさいますか?」私は、「うん」と言ったきりで、相手にしなかった。いやな感じがしたからである。「スパイ」事件はときどきあった。二世が潜水艦や落下傘で、沖縄島に上陸して活動しているとか、軍の電話線を切断する奴とか、そしてこの女スパイのように、火光信号をもって敵と相通じるとか。しかしこれまで真犯人はついぞ捕えられたことはなかった。
 私は、ふっと、三月二十五日午後、首里山頂天守閣跡の広場で見た狂女らしい女を想い出していた。私はそこにあった監視哨に状況を聞くため、一人で広場に立っていた。空は曇り、かなりひどい風が吹いていた。沖縄の三月下旬といえば、春はすでに濃いはずだのに、まったく秋の暮れの感じであった。風は、病葉と砂塵を捲いて吹き上げていた。風蕭々易水寒い危機感でいっぱいのかなり広い広場に、たった一人の琉装の狂女が呪文を唱えながら、両手を大きく振り、天を仰ぎ、舞いの仕草を続けている。あるいは狂人ではなく、沖縄破滅の一大事出来と、天に祈っていたのかも知れぬ。
 私は、竹槍の一突き一突きに痛い!と、か細い声を上げならが、死んでいったという女スパイが、この狂女ではなかったかと、憐れに思えてならなかった〉(P186〜187)。

 首里から糸満の摩文仁に撤退したあと、そこに設けられた司令部壕の様子も八原は記している。首里の司令部壕とも関連することなので、以下に紹介しておく。1945年6月7・8日頃の状況である。

〈七日の夜、首里軍司令部壕で一緒だった翁長、仲本、金城の三人娘が帰ってきた。暗黒の洞窟内では顔を見ることができないが、聞き慣れた声で、長野や三宅に、その後の身の上話をしている。私は病臥したまま彼女らの話すのを聞いた。翁長らは首里撤退後、真栄平付近第二十四師団の野戦病院で勤務することになった。重傷者に接する怖ろしさもいつしか慣れたが、雨季の到来とともに、洞窟内は地下水が氾濫し、溺死者さえ出る始末で、彼女らは半身水つかりのまま、幾代も過ごさねばならなくなった。おまけに食物が不自由で、こんなことなら早く死んでしまいたいと思うようになった。きょう幸いに、病院の将校さんが、希望ならば軍司令部に復帰してもよろしいと申されたので、今夜ようやくここを探しあてて参りました。……これが涙まじりの彼女らの訴えである。
 首里戦線で、一緒に死なして下さいと叫び続けた彼女ら、今やどこにいても、その運命は同じである。我が家の者は、結局わが家に収容すべきであろう。坂口副官は食住の関係からやや難色を示したが、強いて反対せず、また参謀長の寛大な取り計らいで、今夜から彼女らだけでなく、もと軍司令部にいた娘たちはできる限り再び軍司令部に収容することになった。
 八日夜、砲撃のしじまを見て、洞窟を抜けだした私は、高地中腹に立って、通り雨に熱のある頬を気持ちよく冷やしていた。敵の照明弾が与座岳や港川の空で、花火のように揚がっている。照明弾が空中でぱっと炸裂する瞬間、付近一帯の物、人の顔まで弁別できるほど明るくなるが、すぐ鼻をつままれてもわからぬ漆黒の闇にかえる。この明暗相次ぐ高地の麓から、蕭々として登ってくる一列側面縦隊の一隊がある。よく看ると、大きな荷物を背負った娘たち総勢約三十名だ。翁長さん!渡嘉敷さん!と呼び交わす声に、ははーん、例の一行だなと察したが、黙ってやり過ごした。
 私は首里以来の方針を堅持して、参謀室への女性の出入りを禁止した。こんなに多数の女性を副官部洞窟のみに収容はできない。高級副官は百方工夫して付近一帯の洞窟を利用し、分散して落ち着かせた。崎山、与儀、仲本、平敷屋らは副官部に充当された。両将軍が例の改造された室に移られると、平敷屋は牛島将軍の、崎山は参謀長の当番をそれぞれ仰せつかった。
 彼女らは洞窟が狭いものだから、中央垂坑道の上り口−−参謀長室の傍らで、そしてまた副官部と反対側の開口部、即便所の入り口になる−−のところによく屯していた。彼女らが到着した翌日、私は便所に行く途中、久方振りに彼女らに会った。年たけた平敷屋−−中学教師の未亡人とか−−は、やや憔悴して見えたが、その他の娘たちは案外元気である。頬には白粉の代わりに、泥がついている。それがかえって可憐に美しく見える。高級参謀殿!と挨拶されたが、私はわざと通り一辺の応答をしたのみであった。副官部には、彼女らのほか、数名の女性が働いていた。辻町の妓女もいる。私は、ははーんと思ったが、今さらなにをか言わんやである。最期に直面した人々の心理は、私にも解せぬわけではない〉(P342〜343)。

 文中に出てくる参謀長とは長勇陸軍中将である。長は南京大虐殺にも上海派遣軍兼中支那方面軍情報参謀として深く関わっている。秦郁彦『南京事件』(中公新書)には、長と慰安所の関わりが記されている。

〈平時から兵士の性処理に遊郭などを活用してきた軍幹部が、戦地の強姦予防に慰安婦の投入を着想したのは自然であった。第一次上海事変でも小規模な例があったとされるが、千田夏光氏の調査によると、日中戦争では、軍の要請で御用商人が北九州の遊郭から集めて十二年末、上海に開設したのが慰安所(正式名称は「陸軍娯楽所」)第一号とされている。
 上海派遣軍では、長参謀が主任となって幕僚会議で方針を決め、十三年正月の前後に南京でも慰安所が開設され、またたく間に各駐屯地に広がった。その一つである常州慰安所の「使用規定」(十三年三月)なるものを見ると、「慰安ノ道ヲ講ジテ軍規粛正ノ一助トナサントスルニ在リ」と宣言している。
 それなりの効果はあったようだが、十三年春以降、戦線が拡大すると、部隊が慰安婦を連れて進撃するのが慣例化し、なかには第一線より進みすぎた彼女たちの一行が包囲されて救出部隊がかけつける珍事も起きたという。
 近代戦史に珍しい慰安婦随伴の日本軍という姿は、南京事件がきっかけになって確立されたといえそうだ〉(P238〜239)。

 秦によれば〈慰安婦随伴の日本軍という姿〉を作った中心人物が長勇だったことになる。その人物が第32軍の参謀長として司令部壕にいたことの意味も考えたい。沖縄戦では朝鮮人、大和人の女性とともに、辻町の女性たちも慰安婦としてかり出されている。彼女たちが第32軍司令部壕にいたのは、当時の日本軍=皇軍の特質を示すものであり、その事実を削除することは、日本軍の実態を隠すと同時に、彼女たちの存在を抹殺するものでもある。それが歴史の歪曲以上の重い意味を持つことを、仲井真知事や県当局は考えるべきだ。

 


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