17日は午前9時半前に瀬嵩の浜から16艇のカヌーと3隻の抗議船、ゴムボート1隻が海上抗議行動に出発した。今日も暑さの厳しい1日だった。瀬嵩の浜では南風が強かったが、抗議行動を行っている辺野古弾薬庫下のフロート付近は、崖に風がさえぎられてそれほどでもない。昨年の夏から参加しているメンバーは、もっと強い風の中で練習をしてきたので、余裕を持って漕いでいた。
17日付の県内紙で、海底ボーリング調査が6月末で終われず、3度目の期間延長をすることが報じられている。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=120185
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-244384-storytopic-53.html
夏場の沖縄は台風がたびたび来襲する。沖縄防衛局はその前に海底ボーリング調査を終わらせたかっただろう。しかし、そのもくろみは崩れた。台風が来るたびにフロートの片づけや再設置、スパッド台船の移動などに追われ、いずれまた作業の遅れが生じるだろう。
こういう状況を作りだしているのは、たんに自然の影響だけでなく、海と陸で粘り強く続けられている抗議行動がもたらしたものでもある。日々の抗議行動は、県警機動隊や海上保安庁の弾圧によって抑え込まれても、小さな遅れが積み重なることによって、着実にボーリング調査に影響を及ぼしている。
たんに形だけの抗議ではこういう結果は生み出せない。体を張ってでも本気で止めよう、という意思と行動力を持つ人が多く集まれば、辺野古新基地建設は阻止できる。沖縄の反戦運動の歴史を見れば、地域住民や労組、学生、市民団体が現場で激しくたたかってはじめて成果を生み出しえている。
17日は午前中に1度、カヌー12艇がフロートを越えてスパッド台船を目ざし、抗議行動を行った。行動の最中は必死でカヌーを漕いでいるので、終わったあとの写真しか撮れていない。前日、カヌーのメンバーからパドルを奪い取るという海保の危険な弾圧があった。朝一番に抗議船とカヌーからそのことを批判したこともあってか、今日はそのような行為はなかった。
スパッド台船までたどり着くのは簡単ではないが、ほとんどのカヌーが半分以上は行き、1艇は数メートルほどまで迫っていた。進んだ分だけフロート付近よりずっと近い位置から抗議することができる。台船の上の作業員に対し、海保のゴムボートに乗せられてからも抗議の声が上がり続けた。
海保のゴムボートに拘束されたあと、瀬嵩の浜に戻されるのだが、島ぐるみ会議のみなさんが岩場まで来て、海保に抗議の声を上げていた。いつも激励を受けながら、なかなか期待に応えてスパッド台船まで行くことはできていない。だが、海底ボーリング調査を6月末までに終わらせなかったことの意義を、キャンプ・シュワブのゲート前で頑張っているみなさんと共有したい。調査を終わらせないために、力を尽くしましょう。