沖縄は連日30度を超す暑さが続いている。16日は午前9時半前に瀬嵩の浜を14艇のカヌーと抗議船3隻が出発した。海上ではサングラスと帽子は必携で、時々頭や首筋に海水をかけ、こまめに水を飲んで熱中症対策をしている。
4重のフロートの向こうでは、3隻のスパッド台船とクレーン付台船1隻で、今日も海底ボーリング調査が進められている。キャンプ・シュワブでは米軍と自衛隊の共同訓練が行われているとのことで、射撃演習や廃弾処理の音が海まで響いていた。
空ではスーパーコブラ2機が飛び、爆音を轟かせる。ゲートを出入りする米軍のトラックやハンビーも多かっただろう。来週は沖縄戦から70年目の「慰霊の日」を迎えるが、傍若無人な米軍と自衛隊の演習を見ていると、怒りがふつふつと湧いてくる。
午前と午後の2回、スパッド台船を目ざしてカヌー全艇がフロート内に入った。手漕ぎのカヌーに対して海上保安庁のゴムボートは100馬力のエンジンを2つ付けている。これだけの差があるうえに、フロートからスパッド台船までは100メートル以上離れている。海保の保安官なら余裕を持って対応できるだろうに、カヌーメンバーからパドルを奪い取り、海上に放置するというでたらめなことをしている。
これまで海保は「安全確保」と称して、カヌーメンバーをつかまえてゴムボートに引き上げるか、保安官が海に飛び込んでカヌーをつかまえたりしてきた。しかし、16日はパドルを奪い取って漕げなくしたうえで、カヌーメンバーをそのまま海上に放置して、次のメンバーの拘束に向かっている。
これは実に危険で悪質なやり方だ。パドルはカヌーにとって命綱であり、それを奪われると波に流され、いつ転覆してもおかしくない。実際、パドルを奪われたあと、ゴムボートが急反転して波が起こり、危うく転覆しそうになったカヌーメンバーもいた。
以前、海保の保安官がカヌーメンバーのパドルを奪い取って、投げ捨てたことがあった。その時は保安官の1人が感情的になってやったことだったが、16日は午前中1人、午後に3人がパドルを奪われている。海に飛び込む保安官を減らしたかったのかもしれないが、海保の現場方針として組織的に行われたものであることは明白だ。
カヌーの乗船者からパドルを奪い取り海に放置する。海保はそれを「安全確保」と強弁するつもりか。カヌーから女性が引き上げられる際、カヌーの取っ手をつかんでいる指を強引に引き剥がしていたが、「安全確保」という「拘束」によって数多くのけが人が出ている。「海の安全」を口にする海保が、カヌー乗船者からパドルを奪い取るという危険なことをしていいのか。
瀬嵩の浜の近くで海保の拘束から解放されたカヌーメンバーを、16日も島ぐるみ会議のみなさんが応援にきてくれた。その中に安仁屋眞昭さんがいて、海に向かい「おもろ」を歌われた。1980年代に那覇市牧志にあった沖縄ジァンジァンで、山内盛彬さんが「王府おもろ」を歌うのを聞いたが、まさか瀬嵩の浜でおもろが聴けるとは思わなかった。感謝。