23日は朝から蒸し暑く、午後になるにつれて雲が晴れ、梅雨の合間の暑い1日になった。辺野古弾薬庫の浜の近くでは、2台目のスパッド台船の組み立て作業が進められ、午前、午後とその監視活動にあたったのだが、日差しをさえぎるものがない海の上は暑さがきつい。
カヌーに乗っているときは頭や首筋、体に海水をかけて冷やしている。特に大きな動きがないときは、抗議船に上がって休憩をとりながら監視活動を行うのだが、ゆったりとできる反面、体に海水をかけられないので熱がこもる。5月も終わりに近づき、本格的な夏に入ろうとしているが、これからは熱中症対策が大切になる。
寄せ書きがされた赤い布を旗にしてカヌーに立てたり、抗議船から流されるカチャーシーにあわせて手だけで踊ったり、沖縄防衛局に雇われた警戒船に抗議したり、カヌーの練習をしたり…、フロートの向こうの作業に目をやりながらいろいろと、それぞれのやり方で長時間の監視活動をこなしていた。
30日も辺野古側と瀬嵩側の二手に分かれ、カヌーチームは5班体制で抗議行動を取り組んだ。1~3班は瀬嵩側で行動し、午前9時過ぎに瀬嵩の浜を出た。フロート近くまで漕ぐと、緑色のクレーン付台船がすでに長島の方に移動しているのが遠目に見えた。台風前に海底ボーリング調査を行っていた付近で、先に掘削作業を始めるのかと思っていたら、午前10時半過ぎになってプライベートビーチ近くに引き返してきた。
何か不具合があって設置できなかったのか、たんに掘削現場の様子を確認しにいっただけなのか、緑のクレーン付台船が引き返した理由ははっきりしない。組み立て作業が行われていた2台目のスパッド台船も、完成したときには午後5時が迫っており、掘削現場への再設置は行われなかった。結局、沖縄防衛局は30日まで海底ボーリング調査を再開できていない。
29日に浪速丸が引き出そうとしていた小型フロートは、まだ瀬嵩側の大型フロートのそばに置かれたままになっている。別の場所にはオイルフェンスが乱れた状態で置かれているが、これは移動しやすいように大型フロートと結束していたロープをほどいたままにしてあるからだろう。
スパッド台船を掘削現場に移動するときには、これらのフロートやオイルフェンスを浪速間丸で現場に引っ張っていき、周辺を囲むのがこれまでのやり方だ。それへの抗議がこれから重要になる。
30日はオイルフェンス付近では大きな動きはなかった。作業船が3回ほどフロート沿いに走り、点検や小さな補修を行っていて、米軍の警告文張った俵型フロートの設置数、位置などを図面と照らして確認していた。
抗議行動を終えて瀬嵩の浜に戻ると、沖縄市と北谷町の島ぐるみ会議みなさんが、ゲート前での抗議行動のかえりがてら激励に来てくれた。子どもや孫を連れてきた方もいて、小学生2人があいさつをしてくれた。
弾薬庫近くの第3ゲートからスパッド台船に対し抗議しているシュプレヒコールは、瀬嵩側の海上にいるカヌーチームや抗議船にもよく聞こえている。こういう支えがあってはじめて、海保の弾圧から身を守り、海上での抗議を続けることができる。激励に感謝したい。
カヌーの片付けや反省のミーティングを終えて帰るとき、第3ゲートから様子を見ると、2台目のスパッド台船の組み立てが終わってネットが張られていた。日曜日にも作業をするかどうか分からないが、いつでも掘削現場に再設置できる準備は整っている。海でも陸でも、海底ボーリング調査再開に反対の行動を取り組みましょう。