19日は台風7号の影響で海はうねりがあり、前日のうちに海上抗議行動の中止が決まっていた。午後から辺野古に行ったが、午後1時過ぎの段階ではスパッド台船やクレーン付台船の姿は見えず、クレーンでオイルフェンスを準備するなどの作業も行われていなかった。沖縄防衛局の警戒船はいくつか見えたが、海上作業は見える範囲では確認できなかった。
松田の浜に行くと大潮で、かなり潮をが引いていた。突堤の先にある岩まで浜から歩いて行け、所々にザン草が姿を現していた。ふだん歩けない所を見て回った。
マナヌー岩付近は白波が立っていたが、波音よりもキャンプ・シュワブ内の射撃演習場から響く小銃の音の方が大きかった。
キャンプ・シュワブのゲート前に立って米軍車両に抗議を続けたのだが、いつものように大型トラックやハンビーが国道を行き交い、ゲートから出入りする。キャンプ・ハンセンから射撃訓練に来ていたらしく、午後4時頃には大型トラックの荷台やバスに小銃を持った兵士たちが乗り、ゲートを出て南下していった。レーションを積んだトラックが入っていったので、明日もまた射撃訓練が行われるだろう。
ハワイではMV22オスプレイが墜落事故を起こし死者も出ているのに、普天間基地では変わらずにオスプレイの訓練が行われている。日本政府など米軍の言いなりで、沖縄の基地を自由に使わせることしか頭にはない。米軍にとって使い勝手のいい訓練環境を整えることで米軍を沖縄に引き留める。米軍による「抑止力」維持のために住民の犠牲はやむを得ない。それが日本政府の本音だ。
沖縄県民が本当に相手にしなければいけないのは、機動隊や海保ではなく米軍である(相手にしたくなくても弾圧期間とは対峙せざるを得ないが)。沖縄県民が機動隊や海保とぶつかっている向こうで、米兵たちは笑いながらその様子を眺めている。沖縄を使って殺戮の技術を磨き、休みにはレジャーを楽しみ、夜は酒と女を求めて街にくり出す。70年変わらぬ風景で、それに馴れてしまったら米軍に小馬鹿にされるだけだ。
ゲート前に立っていると、米軍の物資を運ぶ小禄運輸の大型トレーラーを日に何度も目にする。19日は火気厳禁のマークをつけたトレーラーがコンテナを辺野古弾薬庫に運んでいた。目にしただけで6台はあったが、訓練に使う弾薬を運んでいるのだろう。こういう危険な車両が国道を通行しているのだ。
辺野古弾薬庫にはかつて核兵器が保管されていたことが指摘されている。現在、その実態はどうなっているのか。辺野古の海を埋め立てて造られるV字型滑走路のそばには装弾場も設けられる。飛行場、港湾、弾薬庫、装弾場、射撃訓練場、上陸訓練場、レジャー施設…etc。こんな使い勝手のいい基地環境ができれば海兵隊はいつまでも沖縄にいる。
そして、自衛隊も共同使用して訓練が激化する。沖縄島北部東海岸はまさに軍事要塞と化す。まかり間違って中国と戦争になれば、嘉手納基地と並んで真っ先にミサイルの標的になる。それ以前に、オスプレイの墜落事故をはじめ米軍と自衛隊の演習による事故、事件に巻き込まれる可能性がさらに増す。北部=ヤンバルをそういう地域にしてはならない。