1972年5月15日の「日本復帰」の日は小学校6年生で、2階にある教室の廊下から土砂降りの雨が降る葉桜の校庭を眺めていたことと、復帰記念メダルを返したホームルームのことを憶えている。「日本復帰」から43年を迎え、前日には安保法制が閣議決定された。日本は帰るべき祖国ではなかった、という思いを強めたウチナンチューも多かっただろう。
尖閣の危機を煽って与那国島に続き、宮古島、石垣島にも陸上自衛隊の部隊を配備し、琉球列島を中国と軍事的に対抗する盾にしようという策動が進められている。いざ中国と戦争となれば、真っ先にミサイルが飛んでくるわけだ。
5・15も米軍にはどうでもいいことで、キャンプ・シュワブの沖には強襲揚陸艦が姿を見せ、浜から水陸両用車が次々と海にくり出していった。ちなみに、魚釣島でAAV7はどれだけ役に立つのだろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=hC_6T9V5vfM
例年、5・15平和行進東コースの出発式は、辺野古の松田ぬ浜で開かれていて、私も参加している。今年は東・西・南の3コースが統一して、海底ボーリング調査が行われている大浦湾に面した瀬嵩海岸で出発式が開かれた。台風6号の影響でスパッド台船やクレーン付台船は姿を消しているが、大浦湾を分断しているオレンジ色のフロートをは全国からの参加者も目にしただろう。
フロートを越えれば海上保安庁は不当拘束を始める。辺野古新基地建設を強行するために、邪魔をする者は排除する。選挙で政府に都合の悪い結果が出ると無視し、沖縄県民の多数意思を踏みにじる。沖縄に民主主義はない、沖縄は明治になって手に入れた領土であり、日本全体の利益のために利用すべきものだ。海上に蛇行して張り巡らされたオレンジ色のフロートは、そういう日本政府の意思を示している。
そのことの不当性を訴え、フロートの設置を認めない、という意思を示すために、同時に海底ボーリング調査を強行しているスパッド台船を目ざして、昨年夏以来カヌーチームと抗議船はフロートを越えて抗議をくり返してきた。そうやって圧力をかけ続けることで、海底ボーリング調査を7ヶ月にわたり遅らせる状況を生みだしている。今後は6月30日までに終わらせない取り組みが重要となっている。
15日はカヌーチームの1員として、海から5・15平和行進出発式に連帯して海上行動を行った。午前9時半頃、瀬嵩の浜から16艇のカヌーが出発した。フロート付近でカヌーを漕いだあと、集会が始まると海岸近くに寄って、メッセージを記したボードを掲げ、出発式に参加した。
式が終わって平和行進団が出発すると、全員で県道沿いにカヌーを漕いで、平和行進団とともにわんさか大浦パーク近くまで進んだ。主催者発表で1200名がキャンプ・シュワブのゲートを目ざして行進した。カヌーチーム頑張れ、辺野古ぶるー頑張れ、という激励の声が有り難かった。陸と海の連帯ができていい取り組みだった。
五月晴れの日差しに輝く瀬嵩の海を眺めて、全国から参加した行進団の皆さんも、大浦湾を埋め立てる愚を再認識したと思う。機会があれば船やカヌーで海上に出て、箱メガネでサンゴの様子も見てほしい。
行進団を見送ったあと瀬嵩の浜に戻り、午前中でカヌーの行動を終えた。木々の間を抜けて浜に出る景色がいい。かつてはこういう風景が沖縄では普通に見られた。過剰な整備をせずに、昔ながらの海に出る道を残してほしい。そして、浜に出たら目の前に巨大な軍事空港があり、MV22オスプレイが離着陸している、という風景にしてはならない。
5月はサンニンの咲く季節だ。沖縄戦の時も島の野山で咲いていただろう。辺野古弾薬庫近くの第2ゲートのそばにも咲いている。カヌーを片付けたあと差し入れの弁当をくわっちーし、休憩をとってから午後はキャンプ・シュワブのゲート前に行った。
平和行進団の皆さんが座り込みに参加していて、いつもこれだけの人が集まれば実力阻止できるのに、という声が聞こえた。ゲート前で24時間の監視・抗議行動を連日続けている皆さんの苦労を思う。前日の夜、辺野古区の青年達十数名が基地のフェンスに張られた鯉のぼりやリボンをはずしに来ていたが、資材の搬入など夜も気の抜けない場面がくり返されている。
全国からの支援も大切だが、名護、ヤンバルからの参加者がもっと増えてほしい。前夜はフェンスの前で辺野古の青年と午後10時半頃まで話したのだが、ヤンバルで子どもを育て、仕事を得て生活できるようにしたい、という思いは同じだ。そのために、国が決めたことに逆らっても…、というあきらめや事大主義を克服したい。
ヤンバルに米軍基地が集中したら地域の将来は終わりだ。一番の被害を受ける辺野古の青年達が、米軍基地への依存から脱しようとしている沖縄の今を、しっかりと認識してほしい。なぜ経済界や自民党の一部が、辺野古新基地建設反対に変わったのか。そのことの意味を考えてほしい。政府・防衛省の甘い言葉にだまされると、辺野古区民は基地の被害を受けるだけで終わってしまう。
沖縄を国防の盾として利用し続ける日本政府に対し、沖縄はこれ以上の基地負担を拒否する、という姿勢を貫かなければ、再び「捨て石」とされて犠牲を強いられる。沖縄はいま大きく変わらなければならない。その節目となる5・15である。