27日は親戚の法事のためカヌーチームの活動は休みを取った。前日に続き海が荒れて、海底ボーリング調査は行われなかった様子。親戚が集まった場でも辺野古のことが話題になった。海底ボーリング調査を強行している安倍首相や菅官房長官にワジワジーしている声が次々と出た。ウチナンチューなら自然な感情だろう。カヌーで抗議していることに応援や励ましの言葉をもらって有り難かった。
国と沖縄県が対峙したとき、各省庁や司法が公平・公正な立場に立つと考える人は、よほどのお人好しだろう(本来はそうあるべきなのだが)。政府を支える官僚は、法律の専門家だ。法令上の形式論に終始すれば、政府の土俵に乗せられて押し切られる。それを打破するのは現場でのたたかいがどれだけ盛り上がるかであり、沖縄県民一人ひとりが他人まかせにしないで、自主的に行動するかどうかにかかっている。
いくら抵抗してもムダだ、あきらめろ、おとなしく言うことを聞け、そうした方が得だぞ、難儀して何になる、国に逆らっても最後は押し切られるのだから取るものを取って要領よく生きろ…etc。政府はそういうメッセージを発し、長いものには巻かれろという事大主義を市民に植えつけようとする。機動隊や海上保安庁の暴力を使って市民を痛めつけ、脅し、無力感に陥らせようとすることの狙いもそれだ。国に逆らって痛い目にあうより、従順に生きて頭を垂れろ、というわけだ。
しかし、そういう生き方はいつかツケを支払わされるのだ。そのときになって後悔しても遅い。何よりも力を持つものに頭を垂れて、屈辱に耐えながら生きて楽しいはずがない。権力に屈する卑屈さが心身に染みついてしまえば、国の操り人形になったのと同じだ。しかし、苦しくとも横暴な力に抗してたたかえば、横に同じ志を持つ人がいることに気づくだろう。
写真は瀬嵩の浜や辺野古漁港の近くに咲いている花である。植物名は知らないが、海岸線の厳しい環境に適応して生きているだけあって、小さな花でも凛とした存在感がある。