11日は午後からキャンプ・シュワブのゲート前に行った。東北・関東地方を襲った巨大地震と津波、原発事故から4年目のこの日、ゲート前の集会でも午後2時46分に全員で黙祷を行った。
海上保安庁の弾圧がより暴力的になり、11日は市民のゴムボートに海上保安庁の船が追突している衝撃的な写真がメディアで報じられた。一歩間違えば大きな事故になりかねなかった悪質な嫌がらせであり、ゲート前でも海保への抗議と海上で抗議しているメンバーへの激励のシュプレヒコールがくり返された。
海保の船にぶつけられた市民のゴムボート(ポセイドンというすごい名前で呼ばれている)のメンバーは、左肩を痛めたたようだが大事にはいたらず、ゲート前に来てあいさつを行っていた。しかし、11日も海保の弾圧を受けたカヌーのメンバーが体調不良で病院に運ばれたという。冬の海に落とされて海保のゴムボートに拘束されると、時間が経つとともに体温が低下し寒くてたまらなくなる。沖縄だから大したことはないと考えるなら大きな間違いで、海は風をさえぎるものもなく、低体温症で危険な状態になりかねない。
それでも海に出なければ海底ボーリング調査がどんどん進められる。もしカヌーや船のメンバーが海上抗議行動を取り組んでいなければ、当初の計画通りに昨年の11月30日に海底ボーリング調査は終わっていただろう。沖縄防衛局は調査期間を3月31日までに延長したが、それも実行不可能となり再延長しようとしている。フロートを設置するために費やした月日は海上抗議行動への対策のためで、本来なら不要のものだ。海保の弾圧によって作業現場に近づくことは難しくても、日々の抗議行動が作業に影響を与え、調査を遅らせているのは間違いない。だからこそ政府・防衛省は海保を使って弾圧を強化しているのだ。
午後の抗議行動の終了時には、坂本九の「上を向いて歩こう」や「明日があるさ」、BEGINの「オジー自慢のオリオンビール」で盛り上がっていた。24時間の監視・抗議体制が続けられる中で、こうやって自分たちを鼓舞し、夕方以降の取り組みにつなげていくのは大切なことだろう。
弾薬庫近くの第3ゲートでは新聞社のカメラマンが張り付いて、カメラの望遠レンズを沖のスパッド台船に向けていた。4本スパッドを使用した台船は、11日に長島側の航路入口近くに移動している。午後4時半過ぎまで作業船が周囲で動き、台船の上でも作業員が海底ボーリング調査の準備を行っていた。翁長知事の中止要請を無視して、日本政府・防衛省は調査を強行しようとしている。さらに、コンクリートブロックの投入によるサンゴ損傷の状況を調査しようとする沖縄県に対し、米軍は臨時制限水域への立ち入りを拒否している。
県の要請をここまで一方的に拒否する政府・防衛省・米軍に対し、翁長知事は毅然として対処すべきだ。政府や米軍を怖れる必要はない。県民は翁長知事が選挙公約を守り、言行一致することを求めている。県民の支持こそが、翁長地事にとって最大の力となる。沖縄戦から70年を迎える今年、沖縄戦の犠牲者と遺族に対し恥ずかしくない姿勢を、翁長知事は貫くべきだ。