21日からカヌー隊の活動は通常通りに戻った。朝のカヌー隊のミーティングでは、染谷さんの事故についての状況説明のあと反省点が上げられ、あらためて基本的なところから活動を見直し、安全確保のためにやるべきことを全員で確認した。
染谷さんの死を悼んで、全員が腕に喪章をつけて海に出た。フロート越えの練習をして北上すると、浜辺に4隻の作業船が並んでいるのが見えた。フロート内で作業をするためのものだが、午前中は陸揚げされたままだった。浜に打ち上げれていたフロートは、場所によってきれいに片づけられ、海に引き出せるようにまっすぐ伸ばされた所もある。
一方でまだ片づけがすんでいないところもあり、バックホーが2台出てフロートを引っ張って移動し、再設置に向けての準備を進めていた。
しばらくフロートの周辺で、各自でカヌー操作の向上のために練習をしてから、辺野古崎を目ざした。快晴で気温は30度近くになり、波もほとんどなく、この季節には珍しいほど穏やか海の表情だった。辺野古崎で全員がそろうのを待って、大浦湾の海上保安庁の出港場所を確認に行った。
浮き桟橋はまだ設置されておらず、海保のゴムボートが3艇、浜の近くに係留されていたが、保安官が活動している様子は見られなかった。米軍のプライベートビーチに打ち上げられていたフロートは片づけられ、波打ち際にまっすぐに伸ばされて、いつでも引き出せるように準備されているようだった。しばらく様子を確認して、お昼になったので船に曳航してもらい辺野古の浜に戻った。
午後になって、辺野古の浜近くに一部残ったフロート内に作業船が4隻出てくると、修復作業を始めた。昼食後、1時半に辺野古の浜を出て、修復作業に対する抗議行動を行った。19艇のカヌーがフロートを越えて向かってきたので驚いたのか、作業船はすぐに浜の方に引き上げ、そこでずっと待機していた。
浜の近くで停船したままの作業船に抗議行動を続けながら、カヌー操作向上のための練習を各自で行った。そのさなかCH53Eヘリコプターが1機、北の方から飛来すると、キャンプ・シュワブ内の着陸帯で訓練を行っていた。北部訓練場からやって来たのだろうか。高江に通っていた頃はよく目にしたが、海から見上げても機体の大きさが際立つ。
県知事選挙に向けて、仲井真知事は「普天間の危険性の除去」を強調している。しかし、実態は沖縄の中で危険性をたらい回しにしているにすぎない。ましてや米軍に攻撃される側からすれば、米軍の訓練がやりやすくなれば危険性は増加するだけだ。朝鮮、ベトナム、イラク、アフガニスタン…、米軍がくり返してきた侵略戦争を支えていたのが沖縄であり、それを拒否することが真の危険性の除去である。
カヌーによる抗議行動は3時間続けられた。その間、作業船は浜の近くに停船したままで、浜のバックホーも動かなかった。4時半になり、作業員たちはこの日の修復作業をあきらめ、バックホーで船を浜に上げ始めた。修復作業を止めたぞ!という声が上がり、カヌー隊はみな意気揚々と引き上げた。
午前、午後あわせて6時間ほどカヌーに乗っていて疲れたが、成果が出ればやる気も湧く。長時間の活動を支えたのは染谷さんへの思いもあっただろう。明日も大浦湾の様子に注意しながら、フロート修復に対する抗議行動が続く。多くの皆さんのご参加を!