渡辺氏の著作が重要なのは、日本兵の側から見た住民虐殺の実例が示されていることだ。同書には、スパイ容疑で射殺された学生のことも記されている。
〈本部壕ではその夜、伝令の古川が中隊長に呼ばれ、米須に待機中の機関銃隊を呼び戻すよう命令された。大度と米須はわずか二キロ足らず。命令を受けた古川は深夜ひとり出発したが、米須に着いたときには夜が明けはじめていた。命令を伝えられた機関銃隊の芝山は、「よし、日が暮れたら出発する」といい、古川もその日一日、米須の壕に留まることになった。だが古川は、この壕が臨時野戦病院になっているとは知らなかった。洞窟内に一歩足を踏み入れたとき、彼は身の毛がよだつような思いで息をのんだ。奥行数メートルある洞窟の中は、数え切れないほどの負傷兵で埋めつくされ、ただ絶望的にがなり散らし泣きわめく陰惨な声が洞窟内に響きわたっていたのである。あたり一面、垂れ流しの糞尿と傷口からこぼれ落ちる蛆の群れで泥沼のようになり、猛烈な臭気が鼻をついた。死んで腐りかけた屍体は負傷兵の手から手へ次々と入口まで送られ、最後の者が壕外へに捨てた。「頼むから殺してくれ」と叫ぶ声があちこちで上がった。そのとき古川は、この地獄さながらの洞窟の中でかいがいしく立ち働いている女学生たちの姿を見た。彼女たちを指揮している若い女の先生に見覚えがあった。一年前、蚊蛇平陣地構築の際、第一高女の生徒たちとともに婦人従軍歌を歌いながら、土運びをしてくれた先生であった。古川はほんのしばらくこの先生とことばを交わした。「ご無事でしたか」と、先生の顔に一瞬だけ笑みが浮かんだ。女学生たちは白昼も恐れず集落の井戸へ水汲みに行き、「先生、いま○○さんと○○さんが戦車にやられました」と報告しているのを聞いた。古川はこの陰惨な壕内にはとうてい入る気になれず、わずかに砲弾の死角になる入口近くに待避して日の暮れるのを待った。夕方近くになったころ、学生服を着た若い男が一人、壕の前に立った。
「中に入ってよろしいですか」と学生は訊いた。
「何の用だ」と機関銃隊の中尾一等兵が訊いた。
「この中に親類の者がいると聞きましたので」
兵隊たちは顔を見合わせた。
「おまえのような若い者がどうして兵隊にならなかったのか」と訊き返した。一七歳から四五歳までの男子県民はすべて防衛召集兵として駆り出されていたはずである。
「私は胸の病気がありましたので」と学生が答えた。
「そうか、よし行け」
壕の一番奥まったところに、集落の家族たちが避難していた。そこは酸素が欠乏して灯火が消えるほど息苦しかったが、たぶん、学生の尋ね人もそこにいたものと思われたが、間もなく出て来た。
「親類の者はおったか」中尾がふたたび訊いた。
「いませんでいた」と学生は答えた。
中尾が学生の前に立ちはだかった。
「こいつは怪しい。スパイだ」
「いいえ」学生は一瞬たじろいだ。
「私はスパイではありません。助けてください」
「嘘つけ」
「いいえ、ほんとうです」
学生は殺気を感じたのか、真っ青になって手を合わせた。
「よし、助けてやるから行け」と中尾がいった。
「ありがとうございます」
学生が駆け出すようにその場を去ろうとしたとき、その背に中尾の小銃が鳴った。学生は声もたてずにばったりと倒れた〉(207〜210ページ)。
米軍の攻撃に追われて沖縄島南部に追いつめられ、避難した住民と敗走する日本軍兵士は雑居状態となる。心身ともに追いつめられた日本兵の中には、挙動不審と見なした住民をスパイと決めつけ、虐殺する者もいた。そこには、沖縄の独自な歴史、文化、生活習慣、言語への偏見、差別意識、ハワイ・北米への移民が多かったことへの警戒感もあっただろう。しかし、それだけではない。戦時体制において防諜の強化が叫ばれ、軍隊にとって住民は守る対象であるより先に、警戒すべき対象となっていたのだ。仮に「本土決戦」が行われていたら、日本軍による住民虐殺は全国各地で起こっていたはずだ。
6月7日の本ブログで、QABの〈特定秘密保護法案 沖縄への影響を考える2〉を紹介した。その中で、沖縄戦における日本軍の住民虐殺や強制集団死の背景に「軍機保護法」があったこと。それがいま「特定秘密保護法」として復活していることが指摘されている。沖縄人、日本人が直接に体験した戦争はすでに69年前のものだ。戦争に対するリアルな感覚が失われているからこそ、歴史に学び、現在起こっていることを検証する必要がある。
6月9日付琉球新報に、〈高校生に伝える沖縄戦〉という別紙の特集がはさまれていた。沖縄戦に学徒隊、農兵隊、護郷隊、防衛隊、少年警察官として動員された人たちの証言や、沖縄戦の概況と特徴、高校生の座談会などが載っている。琉球新報、沖縄タイムスともにこの数年、若者たちに沖縄戦を継承することを重視した企画をとりくんでいて、高く評価できる。
古川氏が目にした69年前の壕の惨状は凄まじいものだ。〈あたり一面、垂れ流しの糞尿と傷口からこぼれ落ちる蛆の群れで泥沼のようになり、猛烈な臭気が鼻をついた〉という壕の中で、日本兵たちはのたうち、がなり散らし、泣きわめきながら死んでいった。そこには「軍神」の美談はない。戦場で何が起こるのか。集団的自衛権を論じる前に私たちは、このような戦争の記録を読まなければならない。