10日は普天間基地大山ゲート前で続けられている早朝抗議行動に参加してきた。高江のメインゲート前での行動もそうだが、昨年9月末から米兵に直接抗議するようになって、米兵に対する認識を新たにさせられている。
沖縄に住んでいれば、米兵と隣り合って食事をしたり、映画を見たりすることは珍しくない。日常生活のなかで接する限りは、違和感を覚えてもそのままやり過ごしてしまいがちだ。そのうち当たり前の風景として慣らされてしまう。抗議の場に立ち直接対峙することで、相手が外国の駐留軍であり、自分たちがどのように見られているかを、ざらつきをもって感じ取ることができる。
抗議行動のあと、佐真下ゲート近くのフェンス越しに普天間基地内を見た。8、9日と普天間基地フライトライン・フェスティバルが開かれていたのだが、地域住民への宣撫工作から一夜が明ければ、いつも通りの騒音をまき散らした訓練が行われている。KC130空中給油輸送機、MV22オスプレイ、CH53E大型輸送ヘリコプターなどが駐機場に並び、見ている間にKC130が離陸していった。
未明に雷鳴が響き雨が降ったのだが、夜が明けると梅雨の終わりも近いかと思える青空が広がっていた。国道58号線から大山ゲートに登る道路脇の木々では、ナービカチカチー(リュウキュウアブラゼミ)の鳴き声が響いていた。
大山ゲートのすぐそばに醴泉之塔という慰霊塔が建っている。沖縄戦で亡くなった大山区の人たちを悼む塔で、正面の石板には次の文章が刻まれている。
わが郷土琉球は今次大戦により史上空前の一大災厄を蒙った/當時戦況は日を追うて苛烈を極め冷酷非情の嵐は陸に海にあるいは空に余すところ無く殺戮の限りを尽して吹き荒れた/かくてわが部落も潰滅に瀕し遂に四百余名の戦没者を見るに至る悲しむべき事態に直面した/それから十有余年いささか平静を取り戻した今日全区民の心からなる浄財により嘗ては老いも若きも歓びを共にした由緒あるこの地に今は亡き人々の思い出を偲びみ魂安かれと祈りつつ区民集いてこの塔を建て冥福を祈る/一九六一年 十二月二十三日/字大山区民一同
昨年の9月末、この碑の前でゲートを封鎖した座り込みと、機動隊による強制排除が行われた。沖縄戦慰霊の日も近いが、塔を建てた大山区民の「み魂安かれ」という祈りは、軍用機が飛び交う下でかなえられただろうか。68年が経っても米軍による基地の占拠が続く状態を、一日も早く終わらせなければならない。