12日(金)は午後2時55分頃、名護市辺野古の新工事用ゲート前に行き、この日3回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。
17人の市民がゲート前に集まり、座り込みや歌声、プラカードを掲げて資材搬入に抗議した。
今日は数人の若者が取材に来ていたが、現場の様子を自分の目で確かめ、話を聞く姿勢を大事にしてほしいものだ。
私が初めて反戦集会に参加したのは、大学に入って間もない1979年の4月28日だった。平和通りから国際通りをデモしている最中に機動隊に暴力を振るわれ、そのことに対する驚きと怒り、疑問が沖縄の基地問題を考え、自分なりに行動していくきっかけとなった。
本やインターネットから情報を集めて分かった気になってはいけない。現場を歩いて自分の身で体験しなければ、どんな問題でも深く理解することはできない。
生コンプラントの原料や砕石、埋め立て用土砂、根固め用袋材に使われるようなぐり石などを積んだ工事車両が断続的に入っていった。
工事車両は数台から十数台に分かれて間をおいてやってくるので、抗議する市民は機動隊によって長時間歩道に閉じ込められている。
それはまた、機動隊や海保の力を借りなければ、新基地建設工事が進まないことを意味している。莫大な予算を浪費し、何も生産しない基地を造ることで、新しい産業を作り出すための教育や研究の予算と機会を失っているのだ。それがどれだけ愚かしいことか。
上の二人はいつも新工事用ゲートの内側に立っている防衛局員、下の二人は今日の資材搬入の責任者らしい作業員たちだが、沖縄がどれだけ基地被害で苦しもうと無視して、何も感じないようにしているのだろうか。
基地利権に群がる者たちからすれば、戦争は利益を生み出すビジネスなのだ。兵器を作る軍需産業にしても、基地を造るゼネコンにしても、どこかの国で人が死に、傷ついても他人事でしかない。
沖縄防衛局員や辺野古で新基地建設の工事を請け負っている者たちにしても変わりはない。軍事基地を造ることは橋やダムを造ることとは根本的に違う意味を持つ。そのことから目をそらしても、造った責任から逃れることはできない。
午後3時25分頃、辺野古弾薬庫そばの歩道から大浦湾を見ると、K8護岸では土砂を積んだ2隻のランプウェイ台船から陸揚げ作業が行われていた。
隣のスパッド台船に接岸しているランプウェイ台船2隻は空だった。