8日(月)は午後2時45分頃、辺野古弾薬庫近くの新工事用ゲート前に行き、この日3回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。
朝から断続的に雨が降る1日だったが、辺野古や本部港塩川地区、安和の琉球セメント桟橋前では、早い人は午前7時頃から抗議行動を開始している。
新工事用ゲート前には17人の市民が集まり、座り込みや歩道でプラカードを掲げて辺野古新基地建設反対を訴えた。
3回目の工事車両は10数台と少なかった。
ウクライナやガザで殺され、傷つき、飢えている人々の姿を見ると、怒りが込み上げると同時に無力感もにさいなまれる。
沖縄島に生まれた者は巨大な米軍基地の存在を目にして育ってきた。
その基地は朝鮮やベトナム、アフガニスタン、イラクを攻撃し、破壊と殺戮をくり返す元凶としてあった。
沖縄戦を体験し、目の前の米軍基地が他国を侵略する拠点となるのを見てきた沖縄人は、自分たちが戦争、軍隊の加担者にならないためにも反基地運動をたたかってきた。
辺野古の新基地運動が長期化し、ヤマトゥンチューが増える中で、珊瑚やジュゴンの保護という環境問題が前面化し、戦争体験に根差した基地、軍隊を否定する沖縄の反戦意識が後退しているように見える。
辺野古新基地建設を許してならないのは、これ以上沖縄人の被害を生み出してはならないだけでなく、沖縄で訓練した米兵が他国の地で殺戮と破壊を行うこと、沖縄基地が出撃拠点、兵站拠点となることを許してはならないからだ。
ウクライナにとってのロシア、パレスチナにとってのイスラエルは、沖縄にとっては日本(ヤマトゥ)である。武力で威嚇して琉球を併合した日本が、今は100対1の人口比のもと、議会制民主主義という擬制によって沖縄を好き勝手に扱っている。
大国、強国の隣、あるいは狭間で生きざるを得ない小国の苦難を沖縄はこれからも味わい続けるだろう。沖縄人は心しなければ、いいように日本人にあしらわれる。
午後3時46分頃に豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見て、4時過ぎに瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。
この日はガット船が大浦湾に入らず、この時間帯には土砂の陸揚げが行われていなかった。