その行き着く先を最後に上げる。
沖縄は来年「祖国復帰」二十周年を迎える。その記念行事として行われる全国植樹祭の会場誘致をめぐって、名護市を中心とした北部地域と糸満市を中心とした南部地域の間で激しい確執があった。中心となって動いたのは市町村の首長や商工会議所のリーダー、つまり政治屋と地域資本家で、住民の大多数は無関心だったのだが、そこで持ち出された論理が「植樹祭を地域活性化の起爆剤へ」である。結果として糸満市の米須海岸に決定したのだが、糸満市は沖縄戦最後の激戦地である。ひめゆりの塔や健児の塔のほかに摩文仁(まぶに)の丘には全国の慰霊塔が立っている。その地で天皇の「お手植え」の儀式が行われる。
先の沖縄国体において、歴代の天皇として初めて沖縄に来る予定だったヒロヒトは、癌のためにその目的を果たせなかった。今回のアキヒトの来沖が初めての天皇来沖になる。しかし、そのことの持つ意味と問題は会場決定の過程で意図的に不問に付され、ただリゾートの誘致と同じレベルで「地域の活性化」だけが叫ばれた。それに対して沖縄の知識人も労組もまったく論争を起こせなかった。
国体護持を目的に戦争を長びかせ、沖縄を捨て石にして、十万余の住民を死なしめた最高の責任者であるヒロヒト。天皇としての地位の安全のために「沖縄(および必要とされる他の島々)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままの長期租借-二十五年ないし五十年、あるいはそれ以上-の擬制にもとづくべきであると考えている。」(大田昌秀『検証・昭和の沖縄』那覇出版刊より)というメッセージをマッカーサーに送ったヒロヒト。その責任を追及されることもなく死んでいった男の息子が新しい天皇として沖縄に来るという。焦土と化した沖縄の緑の復興のために。
七十、八十の老人を先頭に、昔仕込まれた竹槍を手に迎えてやればいいものを。摩文仁の丘で死線をさ迷い、その経験を基に沖縄戦の研究に打ち込んだという大田知事をはじめ、沖縄県民はにこやかに天皇をお迎えする、というか。悲しいばかりの「動物的忠誠心」「沖縄的テーゲー主義」ではないか。
空々しいお祭り騒ぎの裏では、国体がそうであったように、自衛官車両の放火などという極左のゲリラを装った権力のやらせ=謀略が続発して、それを口実に大規模な警備態勢が敷かれ、反対派狩りが行われるであろう。かくして、御嶽の森は滅び天皇の森は栄える。笑うに笑えない戯画だ。