このような状況は沖縄の各地の部落(しま)においてみられることだ。祭祀を司る神人(かみんちゅ)の高齢化が進む一方で後継者を立てることができず、区長や公民館の書記を中心に老人達の助言を受けながら規模を縮小したり、形式を省略したりしてどうにか折々の行事を執り行っていく。あるいはそれもできずに中止となり、やがて廃れていく。
その原因を一々あげる必要もあるまい。部落の祭祀は部落を立て、自然の営みを司る神に豊作と豊漁を祈願し、予祝し、感謝するものなのだから、会社勤めのサラリーマンに季節の折り目折り目の祭事を思い出す理由はない。地域社会内においても農漁業を営むものと公務員や二次、三次産業従事者との意識の差は拡大していく。都市部に出た者達には盆と正月以外に意識にのぼるものといえば清明(しーみー)祭くらいであろうか。ましてや都市に生まれ育った若者達の生活形態や祭祀への意識は東京とどれだけの差があるだろうか。
沖縄では今『字誌』作りがブームになっている。字=部落の自然から歴史、民俗、方言、生活習慣から伝承の類まで、総体的に可能な限り記録しようという試みの背後にあるのが、沖縄的な生活習慣や祭祀、方言などの急速な変化、衰退への危機感であることは見て取るにたやすい。その中心となっている老人達の多くが、かつて生活改善運動を進め、「不合理な」沖縄の生活習慣を大和風に変えることに尽力したり、「正しい標準語」を身に付けるために方言の撲滅に力を注いだ退職教師や区長、議員経験者ら部落の指導者層であるのを皮肉の目で眺めたくもなるが、しかし、その現場に身を置いてみるとそうも言っていられない。
聞き取り調査から資料の整理、執筆、編集、出版まで、専門家の指導や助言を受けることがあるにはしても、作業の大半を未経験の老人達が数年がかりで取り組んでいく熱意は並大抵のものではない。若者の参加がほとんどない中で、資料は集めたものの文章化できずに立往生することも少なくないのである。おそらく、そのような老人達の情熱の底にあるのは不安なのだ。かつては折々の祭祀やユイマールという相互扶助を目的とした共同労働等を通して日常普段に確認できた共同体への帰属意識や共生感が、共時的にも通時的にも崩れ、失われていく中で、自らの生きてきた時間・歴史までもが家という孤立した単位ではともかく、共同体の中では受け継がれていかないのではないか、その衰亡と共に消えていくのではないかという不安が、記録へと向かわせているのだろう。
そこにおいて記録するということは、失われていくということを意識の中で前提にしている。特定の芸能や祭祀、聖域を部分的に伝承・保存することはできても、日常生活の次元に近づけば近づくほど〈本土化〉の波に抗うことはできないという諦念が、自らの記憶に残る部落固有の歴史や習慣を語り残したい、書き残したいという情熱を生んでいる。一冊の本に纏め、活字や写真として残していったからといって、失われたものが回復する、失われつつあるものに歯止めがかかると考えている訳では必ずしもなかろう。ただ、それを残すことによって、後の世代に自らの生きた歴史が記憶され、継承されるかもしれないという希望が、共同体の成員としての自己の確認を助けているのは確かだ。