以下に載せる文章は、「幻視なき共同体の行方」と題して、『現代詩手帳』の1991年10月号に掲載されたものです。32年前の沖縄の状況について書いたもので、そのあと書いた小説の根底にある認識でもある。
サージャーウェーは沖縄本島北部にある今帰仁村の古宇利(こうり)島と天底(あめそこ)部落で行われる神行事である。一昨年の夏、地元の教育委員会の臨時職員をしていて、行事の調査に参加する機会を得た。豊作や豊漁を祈願する祭や神行事はムラ・シマと呼ばれる部落単位で行われるものだから、すぐ隣の仲宗根部落に生まれ育っていながら、天底部落の行事を見るのは初めてだった。
祭祀の中心地である神アサギの庭(なー)に集まった村人に迎えられた神人(かみんちゅ)の老女は九十歳を超えていた。本来、八人いなければならない神人も後継者が無く、神役として最下位でありながら一人で行事を取り仕切らなければならないことが心に重いらしく、老女は何度か「此(く)れー、本当(ふんとー)や我(わ)んがすうしやあらんしがよー(これは本当は私がする事ではないのだけれど)」と呟いていた。
祭は最初に神アサギの御願(うがん/祈り)から始まる。
公民館の書記を務める女性が手際よく供え物の豆腐や神酒を用意し神アサギに供えると、白装束に着替えた老女は補助役の老人と共に神アサギの中に入った。もとより昔通りにはできなくても、老女は他の神人達がやっていたことを思い出し、少しでもそれに近づけようとしているようで、しきりに老人に相談していた。しかし、老人も九十歳を超している。御願事(うがんぐとぅ)の手順を指示通りにできない老人に老女は苛立ち、しまいに涙を落した。それでも村人達に見守られ、二人は神酒と豆腐を交互に捧げて御願を終えた。その後、足の弱った神人の老女を神アサギに残し、村人達は区長を先頭に行列を成して根屋(にーやー)やノロ殿内(どんち)を回り、御願を上げた。
各拝所での御願がすむと全員でアサギ庭に車座になって、供え物の豆腐や持ち寄った御馳走を食べながら懇談が始まった。集まっている人達もほとんどが六十代以上で、昔の祭の様子に話が及ぶと、神人の老女は、昔通りにできないことを嘆いて再び涙を流し、まわりの女達が「ぬうが泣き侍(やび)る。肝痛(ちむや)みんそうらんけー(どうして泣きなさる。心痛めなさるな)」と慰める。行事は最後に全員でカチャーシーを踊り、終わったのだが、その時は老女も立ち上がって皆の歓声を受け、手だけでカチャーシーを踊り、喜びを表していた。しかし、迎えに来たタクシーに乗り込む老女の顔に明るさはなかった。帰路につく老女の胸の内では来年のことを思って心細さが募り、自らの責任の重さに胸がふさがっていたはずなのだ。参加した村人達の一人一人においても来年の行事を今年同様に行えるか、不安が兆していただろう。