以下の文章は2022年10月27日付琉球新報に〈沖縄人の戦争被害と加害/アジアの虐殺記録されず/植民地支配加担の反省を〉という見出しで掲載されたものです。
沖縄戦の際、本部半島に配置された日本軍(独立混成第44旅団第2歩兵隊や運天港の海軍部隊)は、米軍の攻撃に耐えられず4月中旬には多野岳に敗走する。本部半島や周辺の山に逃げ込んだ日本兵は、昼間は森の中に隠れ、夕方になって米軍が集落から引き揚げると、山から下りて民家に押しかけた。食料の強奪やスパイの疑いをかけた住民の虐殺など、日本軍が行った蛮行は、祖父母や両親、親戚などから私も聞かされた。
「アメリカーよか日本軍がる、うとぅるせーたる」(米軍よりも日本軍の方が、怖かった)というのは祖父母が語っていた言葉だ。
沖縄戦当時、祖父は今帰仁村の仲宗根で散髪屋をしていた。3月下旬の空襲で仲宗根の町が被害を受け、祖父の店も焼けて家族は隣部落(越地)の親戚の家に間借りすることになった。1928年(昭和3年)生まれで、当時17歳だった伯母も一緒に住んでいて、元気なころ私に次の話を聞かせてくれた。
ある日、日本軍に命を狙われて逃げている地元の男性を床下にかくまった。男性は日本軍に捕まることなく床下から這い出てきた。そのとき伯母に、自分がかつて中国でやったことを語ったという。
男性は日本軍に従軍し、中国戦線で戦った。部隊がある村に入ったときのことだ。ゲリラ兵となったのか男たちの姿はなく、残っているのは女性と子ども、老人ばかりで、壕に隠れているところを見つけられ、中で怯えていた。
日本軍は何をしたか。中国の農村部では大豆を収穫したあと、乾燥させた茎や葉を煮炊き用に軒下に積んでいたという。日本兵たちは、その大豆の茎や葉を集め、壕の前に積み上げると火を放ち、皆殺しにした。
床下に身を潜めているとき男性は、壕に隠れていた人たちもこういう気持ちだったのか、と考えたという。自らが日本軍に命を狙われてはじめて、男性は自分たちが虐殺した中国の住民の恐怖や苦しみを想像したのだ。
男性は生き延びることができたから、伯母に自らの体験を語ることができた。しかし、日本軍に焼き殺された中国の人たちの恐怖や怒りは、命もろとも消し去られた。それでも、村に戻った男たちによって、日本軍がやったことは語り伝えられているだろう。
伯母から聞いた話には、十五年戦争において沖縄人が体験した加害と被害の二つの側面が、端的に表わされている。
日本軍による沖縄の住民に対する虐殺や食料強奪、壕追い出しなどの被害体験は、多くの証言が記録され、語り継がれて、今でも県内メディアに取り上げられている。
一方で、沖縄人が日本軍兵士としてアジア諸国の人々に行った虐殺や略奪行為などは、どれだけ記録として残され、焦点化され、加害責任が反省されているだろうか。その追及はほとんどなされないまま、従軍した沖縄人兵士たちの大半は、加害体験を語り(書き)残すことなく亡くなってしまったのではないか。
だからといって、沖縄人が行った東アジア諸国の人たちへの加害の問題を不問に付し、忘れ去ることは許されないはずだ。仮に加害者が自らに都合の悪い事実を忘れても、被害者は忘れない。それは沖縄戦における日本軍の沖縄住民への蛮行が、今でも語られるのと同じことだ。
書店に行けば「嫌韓」「嫌中」を前面に出した雑誌や書籍が平積みとなっている。インターネット上ではさらにひどい。日本軍が行った朝鮮人労働者の強制連行や戦時性奴隷、南京をはじめとした中国各地での虐殺、暴行、破壊、略奪、東アジア諸国への侵略と植民地支配の事実など、なかったかような主張が幅を利かせている。
こういう社会で教育を受け、育った世代も二十代、三十代となっている。日本は東アジア諸国を植民地化することで欧米列強の侵略から守り、産業の近代化を促進した。「慰安婦」や南京大虐殺は韓国や中国のでっち上げだ。こんな主張は日本国内では通用しても、一歩外に出れば袋叩きになるものでしかない。ご都合主義丸出しの歴史認識が日本社会の主流になるなら、東アジアで孤立するのは必至である。
政治、経済、文化、科学技術など多方面において、東アジアにおける日本の相対的地位の低下が顕著になっている。そういう状況下で、「台湾有事」を煽り立てて軍事予算を倍増し、敵基地攻撃能力を保有すると自公政権は主張している。
ここでいう敵とは中国のことだが、実際に中国の基地を攻撃すればどうなるか、想像する力もないのであろうか。
東アジアの諸国が中国の覇権主義に反発していたとしても、日本が専守防衛をかなぐり捨てて中国を攻撃すれば、かつて植民地支配や軍事占領を受けた記憶がよみがえり、一気に広がって日本への批判と警戒が噴出するだろう。
日本の政治がそのような方向に向かうことに、沖縄は全力で反対しないといけない。そのためにも、沖縄人がかつて中国や朝鮮をはじめとした東アジアの人々を差別し、日本の植民地支配や軍事侵略に加担した歴史を学び直し、反省する必要がある。忘れてはならない記憶として。