写真は5月10日のお昼ごろに撮影したものだ。
キャンプ・シュワブの第4ゲート周辺は、国道329号線沿いの丘に生えていた木々がほとんど伐採されてしまった。
赤土の上を枯れた木々の枝や草が覆っている。まわりは若夏の木々の緑が鮮やかで、赤茶色の殺伐とした風景が際立っている。
第4ゲートから辺野古弾薬庫に向かう道沿いの谷間には、新たな商業用ゲートの建設に向けて足場が組まれ、土砂を入れた場所でボーリング調査が行われていた。
歩道沿いの工事用仮設道路の外側には、金網のフェンス設置が続けられている。
名護方向に向けて工事用仮設道路の延伸も続いている。
これから仮のフェンスが金網のフェンスに付け替えられ、新ゲート建設と並行して辺野古弾薬庫周辺の整備が進められる。
このような工事が示すのは、米軍は辺野古弾薬庫をさらに何十年も使用し続けるということだ。いずれ実戦で使用しやすい戦術核の配備計画が浮上するかもしれない。
ロシアのウクライナ侵略を利用して、中国の脅威を煽りながら沖縄の米軍・自衛隊基地の強化を進めようという動きが活発化している。「日本復帰」50年がさらなる基地強化の節目になろうとしている。
日本=ヤマトゥにいいように利用され、何度でも「捨て石」にされる。そういう情けない状態から決別しなければならない。
1972年5月15日は土砂降りの雨だった。当時、私は今帰仁小学校の6年生で、「復帰」についてのホームルームが始まる前、校庭の桜の緑葉に雨が打ち付けているの眺めていたことを覚えている。
動画の中に出てくる高校1年生の少女の言葉に共感する沖縄人は今も多いだろう。