9日は午後から東村の高江で、「間島さんを偲ぶ会」が開かれたので参加した。
昨年、不慮の事故で亡くなったのが今でも信じられないのだが、飾られた写真を眺め、参加者の発言を聞いて、多くの人に慕われていた彼の人柄が偲ばれた。
高江のヘリパッド建設反対の取り組みについては、2016年の工事強行が多くの人に印象深いだろう。ただ、私にとっては2012年から14年にかけて取り組まれた、N4のヘリパッド建設に反対する行動の方が印象に残っている。
当時、北部訓練場のメインゲートが開く午前6時に集合し、ゲートが閉まる夜の9時までぶっ続けで、N4の工事現場に入ろうとする作業員を阻止する行動を取り組んでいた。
時には森の中を駆け回り、ゲートが閉まったあとはその前に車を止めて朝まで車中泊する。阻止行動によって作業員たちは現場に入ることができなくなり、最後は北部訓練場の中に何か月も泊まり込んでN4の現場に向かっていた。
そこまでやられると対応が難しかったが、少なくともN4周辺やメインゲート周辺、国頭村の伊湯岳から作業員が入るのは完全に阻止した。
そういう日々の中で間島さんは、毎朝午前6時にやって来て、午後5時までメインゲートに立ち、作業員を阻止する最前線にいた。それがどれだけ大変なことだったか。
私が高江の阻止・抗議行動に関わったのは短い期間だが、間島さんは長期にわたって行動の中心にいて取り組みを続けた。マスコミや写真家、ドキュメンタリー作家、映画監督といった人たちは、絵になる派手な場面を撮りたがる。間島さんのように控えめな人は、彼らの注目を受けにくいかもしれない。
しかし、本当に運動の現場を支えているのは、間島さんのように長期間にわたって現場に通い続け、地味な裏方の仕事をこなし、自分のやるべきこと、できることを着実に続けている人なのだ。そのことに敬意を表したい。
新型コロナウイルスの感染が終息すれば、連れ合いと一緒に旅行を楽しんだり、やりたいことがいっぱいあっただろうに。早すぎる死が残念でならない。