沖縄で発行されている評論雑誌『越境広場』の7号から、「地を這う声のために」という時評を連載させてもらっている。その第2回が載った『越境広場』8号が発行から半年ほどたったので、編集・発行人の許可を得て、以下に転載したい。なお、第2回は昨年10月に執筆したものである。
二〇二〇年九月一五日に、かもがわ出版から『辺野古に替わる豊かな選択肢』(以下『豊かな選択肢』)が発行された。〈「米軍基地問題に関する万国津梁会議」の提言を読む〉という副題が付いており、資料として同会議の「在沖米軍基地の整理・縮小についての提言」が収録されている。
ほかに同会議の委員長である柳澤協二氏の〈序に代えて〉、柳澤氏と山崎拓氏(元自由民主党幹事長・元防衛庁長官)との対談、野添文彬氏(同会議副委員長・沖縄国際大学准教授)、山本章子氏(同会議委員・琉球大学准教授)、元山仁四郎氏(「辺野古」県民投票の会元代表)による鼎談、玉城デニー沖縄県知事へのインタビューが収録されている。「提言」についての理解を市民に広げるために発行された一書と言える。
ここでは同書を読んで感じたこと、考えたことをいくつか記したい。
「米軍基地問題に関する万国津梁会議の提言」(以下「提言」)は、辺野古新基地建設に関して、日本政府・米国政府と沖縄県が協議の場(専門家会合)を設けることを追求し、辺野古新基地建設に替わる選択肢を提案することを目的に打ち出されている。そこでは、協議のテーブルに着くため、日米安保条約を肯定し、評価することが前提とされている。
そのうえで、中国の軍事強化やミサイル技術の進歩、米海兵隊の新たな戦略・戦術への移行を踏まえ、沖縄への海兵隊の固定化、集中化を止め、全国の自衛隊基地に分散移転、ローテーション配備する案が示されている。その際には当該自治体が受け入れやすいように「日米地位協定」の見直しが伴う、とされている。
まずは日米安保条約についてだが、「提言」では以下のように記されている。
〈沖縄県は、日米安保条約を理解する立場であり、日米安保条約がこれまで日本と東アジアの平和と安定の維持に寄与してきたと考えている。しかし、沖縄に米軍基地が集中してきたことについては、安全保障の負担の在り方を日本国民全体の問題として考え直すべきだと主張している〉
「提言」の日米安保への評価は、沖縄県のホームページに載っている「沖縄から伝えたい。米軍基地の話」からの引用である。(更新日は二〇一八年五月八日で翁長雄志前知事が亡くなる三か月前)。
『辺野古に替わる豊かな選択肢』に収められているインタビューで玉城知事はこう話している。
〈あらためてお話しさせていただきたいのは、日米安全保障体制がアジア太平洋地域の平和と安定の維持に寄与してきたということを、沖縄県は十分認識しているということです。しかし、戦後七五年を経た現在も、国土面積のわずか〇・六%しかない沖縄に、日本全体の実に七〇・三%もの面積の米軍専用施設が存在しつづけるというのは、どう考えても異常としかいいようがありません〉(一〇八ページ)。
「提言」と玉城知事の発言はほぼ同じ内容である。故・翁長雄志知事と玉城知事の日米安保に対する「認識」を踏まえ、それと同調する立場から「提言」は書かれている。しかし、「提言」は知事の個人的なものではない。主語が「沖縄県」とされるとき、そこには玉城知事や県の行政組織だけでなく、沖縄県民全体が含まれると読み取られてもおかしくない。
沖縄の現状や歴史を正視すれば、〈沖縄県は、日米安保条約を理解する立場であり、日米安保条約がこれまで日本と東アジアの安定の維持に寄与してきたと考えている〉などと簡単に書けるものではない。
日本全体を見ても、六〇年安保闘争や七〇年安保闘争は言うに及ばず、ベトナム戦争やイラク戦争、アフガニスタン戦争など、在日米軍基地から戦場に向かう米軍に対して抗議行動が取り組まれるとき、米軍基地の法的根拠である日米安保条約は、くり返し問題にされてきた。
私が琉球大学に入学したのは一九七九年だが、七〇年代の後半から八〇年代の前半にかけて、米軍や自衛隊に反対する集会を主催していたのは、主に社会党系の原水協や護憲反安保県民会議という団体だった。護憲と反安保は一体のものとして運動が進められており、米軍基地が日常生活に組み込まれている沖縄では、安保の問題は庶民の日常生活を脅かすものとして身近にあった。
沖縄にとってそれは過去の話ではない。現在においても米軍基地がもたらす事件・事故は、不断に県民生活を脅かし続けている。日本全体では日米安保肯定が多数となり市民運動の中でも論じられなくなっているかもしれないが、沖縄ではまだ日米安保に反対し、疑問を抱く市民はかなりいる。そういう歴史や現実を無視して「提言」のようにまとめるのは、歴史の偽造であり、日米安保に対する沖縄内部の多様な意見を覆い隠す欺瞞である。
おそらく、玉城知事や「提言」をまとめた委員らの中には、日米安保を肯定し、評価する立場を鮮明にしなければ、日米両政府に相手にされない、という認識があるのだろう。しかし、「提言」が沖縄県民に受け入れられず、疑問や反発が噴き出すものでしかなければ、日米両王政府相手にどれだけの説得力を持つだろうか。
また、日米安保に対して沖縄がそれほど肯定的で協力的なら、米軍にとって現状維持が望ましく、現状変更の動機は減少する。沖縄には日米安保について多様な意見があり、米軍が対応を誤れば県民の反発が高まり、日米安保体制を根底から脅かす事態になりかねない。そういう意事実を相手に認識させることが交渉では必要であり、それなくして米軍を動かすことはできない。
「米軍基地問題に関す万国津梁会議」の委員は全部で七人だが、委員長の柳澤協二氏と孫崎享氏は元政府官僚である。野添文彬氏と山本章子氏、宮城大蔵氏は日本の大学教員で、三人とも一橋大学の大学院出身である。宮城氏は二〇一四年から一六年にかけて、安倍晋三政権下で内閣官房安全保障局顧問を務めている。米国の大学教員であるマイク望月氏は、新外国イニシアティブ(以下ND)の評議員であり、柳澤氏もNDの評議員だ。ちなみに、委員ではないが『豊かな選択肢』の鼎談に参加している元山仁四郎氏は、一橋大学の大学院に在学中で、かつてNDで一年間働いていたという。
同会議の委員の構成を見ると、元政府関係者とND、一橋大学大学院という極めて狭い人脈から委員が選ばれている。多様な視点から議論し提言にまとめていくのではなく、委員長の柳澤氏が所属するNDの基本路線に沿って、学者たちが軍事、外交面から理論を補強する、という方向性があらかじめ決まっていたとしか思えない。人選を含めてそこには、玉城知事の意思が働いていただろう。
万国津梁会議には、これまで沖縄で反戦・平和運動を取り組んできた団体や個人から意見を聞こうという姿勢はなかった。それをやれば日米安保に反対する意見も出るから、辺野古新基地建設に関して様々な運動を取り組んできた現場の声は、あらかじめ無視したのだろう。ウチナンチューの研究者やジャーナリスト、弁護士などを入れなかったのも、基本的には同じ理由ではないか。
少し横道にそれるが、この問題はこれからの沖縄の反戦・平和運動を考えるうえで注意すべきことだ。現在、社民党と立憲民主党との合流の動きが進んでいる。沖縄では衆議院議員の照屋寛徳氏が合流に積極的で、一一月一四日の臨時党大会で、社民党沖縄県連は合流に賛成することを決定している。これは単なる政党の合流にとどまらず、社民党県連とかかわりの深い県内の労働組合や平和運動組織にも影響を与える。
沖縄戦の体験を経て戦後の過酷な米軍支配に抗して闘い、施政権返還後も反安保の姿勢を保ってきた沖縄の反戦・平和運動の変質が策されていくのではないか。立憲民主党中央の運動方針に対し、沖縄県連がどれだけの自主性と独自性を保ち、運動を展開していけるか。これはこれからの辺野古新基地反対の取り組みにも影響する。
すでに国民民主党から立件民主党に移っている屋良朝博衆議院議員は、NDの評議員である。これから立憲民主党に合流してくる社民党系の議員たちと、県連内での主導権争いも起こるはずだ。沖縄ではまだ社民党系は多くの支持者を持っており、労組や平和運動でも一定の力を持っている。それが今後どう変わっていくか、注目しておく必要がある。「提言」の方向への変質を促す動きが活発化するのは間違いないが、日米安保肯定に雪崩うつほど、沖縄の反戦・平和運動はひ弱ではないはずだ。※1
【注】
※1 一一月一四日に開催された社民党大会で、照屋寛徳衆議院議員は福島瑞穂党首に対し〈社会党、社民党の党員、先輩方が築いた遺産をすべて食い潰したのはあなたなんだ。そういう自覚はないんですか〉〈ぅわーびちゅらーぬ、うちくんじょー/上部はきれいだが根性は悪い〉と厳しく批判した。一方で照屋議員は、任期中は社民党に残る、としている。社民党沖縄県連は残留するグループと立憲民主党に合流するグループに分裂し、混乱も予想される。
→【注】※1は脱稿後補筆。