私が琉球大学に入ったのは1979年4月で、在学中に琉大が首里キャンパスから西原キャンパスに移転したので、両方のキャンパスを経験することができた。
一時期だが男子寮でも暮らし、今は県立芸大がある首里の男子寮の最後の寮生となり、新しくできた西原の男子寮の最初の寮生となった。これはとても幸運だったと思っている。
首里のキャンパスや寮の壁には、学生運動が盛んだったころの落書きやポスターが残っていた。その中に1971年6月19日に男子寮で起こった町田宗秀君という学生の虐殺事件を糾弾するポスターがあった。
学生を引きずり倒している男の写真をはじめ、当時の様子を写した白黒写真とともに告発文が載ったポスターが、古いものや新しいものなどあちこちに貼られていて、否が応でも目を引いた。
今日が6月19日なので、ふとこの事件を思い出し、もう50年がたつのか……、と首里キャンパス当時のことに思いがめぐった。
来年は沖縄の施政権返還50年ということで、いろいろと特集が組まれるだろう。だが、こういう事件が取り上げられることは滅多にないだろう。一部の人物の英雄化や偶像化が進められる一方で、触れたくない出来事は忘れたかのように扱われ、語られなくなっていく。
しかし、事件を忘れることができず、50年という時間の流れをかみしめながら、ひっそりと手を合わせている人は、遺族はもちろんのこと少なからずいるだろう。
当時、この事件に関する抗議声明を支持した沖縄の知識人は3人だった。3人とも琉大の国文科出身で、1人とは同じ職場になったこともあったが、ろくに話をする機会もないまま少し前に亡くなった。
沖縄戦後史の中で忘れてはいけない事件だと考えている。