7日(火)は朝、カヌー10艇を安和の琉球セメント新桟橋に運び、抗議船・木の葉蝶とゴムボート・ハクイとともに海上抗議行動を行った。
午前8時42分頃、安和の現場に着くと新桟橋では、ガット船・第八高砂丸が土砂を積み込んでいるところだった。2隻目はmarumasa1号だったので、先週の金曜日と同じ形の抗議となった。
午前10時18分頃、浜から出発してカヌーで新桟橋に向かった。波が高かったが、船尾側に3艇、船主側に4艇のカヌーが張り付き、辺野古の海を破壊する土砂の積み込みと搬出に抗議した。
午前11時過ぎに海保のゴムボートが姿を見せ、警告を発し始めた。第八高砂丸への土砂積み込みが終わり、出航準備が整い始めた午前11時52分頃、海上保安官が海に入り、カヌーの排除を開始した。
午後12時55分頃、カヌー全艇が新桟橋の下から排除された。そのあと、第八高砂丸が離岸し始めたのが午後1時7分頃、沖に向かって出航したのが同10分頃だった。
昼食後、午後3時まで出入り口付近で、土砂搬入への抗議行動に参加した。入り口近くのガートレールには七夕の笹が飾られていた。
昼休みもなく土砂搬入が続き、出口では機動隊の規制・弾圧が一段と厳しくなっている。市民の抗議が効果があるからこそ、弾圧も厳しくなる。それを跳ね徐けるには、多くの市民が集まり、現場で行動するしかない。
キャンプ・シュワブのゲート前で抗議行動が始まってから7年目を迎える。辺野古から安和、塩川まで行動が広がってしまったが、目の前で進む工事を見て見ぬふりはできない。誰かがやらなければならないことを、自分がやるかどうかだ。
辺野古に戻ったカヌーを片付けたあと、午後4時33分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。K8護岸にはランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げが行われていた。ダンプカーで運ばれてきた土砂は、K2護岸側から土砂の投入を行なっていた。
K2、K3護岸上では、引き続き嵩上げ工事が行われていた。K3護岸上のコンクリート底部前側の鉄筋が、前日より細かく組まれていた。これから壁部分が造られていくのだろう。
午後4時51分頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。K9護岸で土砂の陸揚げが終わり、明朝すぐに再開できる状態でランプウェイ台船が接岸していた。
ガット船は3隻(聖嘉、寿鷲丸、第八そうほう丸)が停泊し、聖嘉は土砂の積み替えを行っていた。この3隻は大浦湾に今日入ったものだ。
石垣海保の職員と普天間基地の米軍属から新型コロナウイルスの感染者が出ている。世界最大の感染国である米国から、米軍関係者は何の規制も受けずに沖縄・日本に出入りできる。それ自体が異常であり、米軍関係者から感染が広がった場合、日本政府はどう責任を取るのか。