5月18日付沖縄タイムス電子版の「大玄小玄」というコラムで、阿部岳という記者が「復帰か返還か奪還か」という文章を書いている。内容の余りのひどさに反吐をもよおした。このナイチャー記者は、沖縄タイムスの先輩記者である新川明や川満信一の著作を読んだことがあるのだろうか。「沖縄奪還」を掲げた党派もあったが、そういう事実を知っているのだろうか。
この記者は48年前、「沖縄解放」や「沖縄人民解放」という言葉があったことも知らないのだろう。いや、知っていてわざと無視しているのだろうか。〈沖縄が主体になると、戻ることを指す「復帰」はすんなり意味が通る〉と書いているが、それこそナイチャー目線であり、よく恥ずかしげもなく〈沖縄が主体になると〉などと書けるものだ。
阿部記者は沖縄人を日本人の「同胞」と扱うことによって、自らを沖縄人と同一化し、あたかも代弁者であるかのように振る舞っているだけではないか。それこそ自らの沖縄に対する後ろめたさを消すための傲慢なふるまいではないのか。沖縄に対する日本の態度を問うのなら、昭和天皇のメッセージを真っ先に問うたらどうなのだ。
復帰運動の歴史を見れば、初期の頃と60年代後半では、運動と言論の内容が変わってくる。「復帰」の内実が見えてくるにつれ、「祖国日本」に抱いていた幻想も崩れていき、「復帰」が必ずしも喜ばしいものでないことは、1972年5月15日に小学校6年生だった私でさえ、大人たちの様子から察することができた。
ちなみに私は「復帰」という言葉が嫌なので、「施政権返還」という言葉を使うようにしてきた。そういう用語法は「米国目線」か?「復帰」を使う時にも、「本土復帰」ではなく、「日本復帰」を使ってきた。私が子供の頃の記憶では、当時の大人たちは「日本復帰」と言っていた記憶があるからだ。そういう沖縄人の体験や思考を考えたことがあるか。
沖縄タイムスも琉球新報もナイチャー記者が増えて、中堅や主力になって影響力を増しているのだろうが、こういう記者が米軍基地の「引き取り論」の特集を組んだりしている。そのために、実態以上に「引き取り論」が広がっているように見えたりする。
本気で取り組む気もない「引き取り論」を持ち上げる一方で、沖縄タイムスの辺野古取材班のツイッターは、4月15日から止まったままだ。新聞記者が現場も歩いていないのだから情けない。加えて、沖縄の歴史がナイチャーに都合のいいようにねじ曲げられていく。あたかも沖縄の寄り添うかのような顔をして。