14日(火)は午後遅くから、本部港塩川区と安和の琉球セメント桟橋前の抗議行動にも短時間だが参加した。
本部港塩川区に着いたのは午後4時頃で、作業は終盤だった。いつものように桟橋に接岸したランプウェイ台船・呉屋5号にダンプカーで運んできた土砂を積み込んでいた。本部町島ぐるみ会議の皆さんが、のぼりを手にしてダンプカーの前をゆっくりと横断し、長時間にわたる抗議行動を続けていた。
本部港塩川区は抗議する市民やテイケイの警備員、沖縄防衛局員などが広範囲に散らばっているので、人と人の距離がかなり開いている。海から風も吹いているから、飛沫感染の危険性はかなり低い。車で往来すれば人との接触も少ない。牛歩戦術で効果的に抗議できる場所である。
午後4時半頃、土砂を四分の一ほど積んで呉屋5号は離岸していった。すぐに安和の琉球セメント桟橋に向かった。
午後5時3分頃、安和の現場に着くと、琉球セメント新桟橋ではガット船・第八丸喜丸が土砂の積み込みを行っていた。空気が乾いているせいか、ベルトコンベアーから落ちる土砂の粉塵が風に流れていた。
本部町島ぐるみ会議のAさんによれば、この日は美鍛丸、寿鷲丸、marumasa3号が土砂を積み込み、第八丸喜丸が4隻目とのことだった。
琉球セメント桟橋の出口付近で、土砂を下ろして出てくるダンプカーに抗議した。ここでも牛歩戦術により、ダンプカーが土砂を積みに戻るのを少しでも遅らせる形で抗議行動が取り組まれている。
土砂の搬入が終わった午後5時45分頃まで、出口付近を何度も往復した。ここも少人数でも成果が出せる場所である。厳しい状況下でどうやって抗議行動を展開していくか。各自の主体性と創意工夫、感染防止のための努力が問われる。
今の時期、好き好んで外出する人はいない。最大の問題は、辺野古新基地建設を強行し続ける日本政府・沖縄防衛局の姿勢にある。1929年の世界恐慌以来の経済危機が言われるなか、こんなバカげた工事に金を注ぐ余裕が日本にあるのか。即刻中止すべきだ。