4日(火)はカヌー10艇を名護市安和の琉球セメント桟橋まで運び、ゴムボート・ハクイとともに、辺野古埋め立ての土砂を積み込むガット船に海上から抗議した。
午前8時52分頃、安和に着いた時にはガット船・清明が琉球セメント新桟橋に接岸し、土砂を積み込んでいるところだった。カヌーを浜に下して準備を整えたあと、午前9時13分頃、海に漕ぎだした。
午前9時38分頃、海上保安庁のゴムボートがやってきて、抗議中のカヌーに警告を発し始めた。午前10時19分頃、海上保安官が海に入ってカヌーの規制を開始した。カヌー全艇が海保に拘束され、新桟橋から離されたのが午前56分頃。清明は午前11時10分頃に離岸し、沖に向かっていった。
海保のゴムボートで浜に戻されたあと、昼食と休憩をとって、午後は1時9分頃に2回目の抗議行動に出発した。新桟橋にはガット船・進朋が接岸していて、土砂を積み込んでいた。
午前中は日が差して暖かかったが、午後は雲が広がり肌寒く、波も出始めた。特に船尾側は波が直接当たるので、カヌーを固定するのをやや緩めて抗議した。
午後2時10分頃、海保のゴムボートがやってくると、2時34分頃から規制を開始した。カヌー全艇が拘束されて新桟橋から離されたのが3時5分頃。そのあと、新桟橋のそばを漕いでいたカヌーメンバーも拘束され、進朋が離岸したのは3時18分頃だった。
安和の海上行動は近くで眺めることができないので、カヌーチームの行動を具体的に知る人は少ないだろう。しかし、陸上で土砂を運ぶダンプカーに抗議するのと並行して、海でガット船に直接抗議するのは大事なことだ。
現場で行動する人がいなければ、工事を止めることはおろか遅らせることさえできない。高江でもそうだったが、マスコミや知識人なるものが注目するのは大きな節目やイベントくらいで、日常的な抗議行動は大した関心もむけられないまま地味に淡々と続けられる。しかし、それこそが大切なのだ。
辺野古に戻って片づけをしたあと、午後4時45分頃に豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。K8護岸にはガット船・明神3号が接岸して土砂の陸揚げが行われていた。土砂はK3護岸とK4護岸の角付近に投入されていた。
午後5時頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。K9護岸にはランプウェイ台船が土砂を積んで明日のために準備されていた。
ガット船はmarumasa3号、第八そうほう丸、玄周丸、第八藤進が土砂を積んだ状態で停泊していた。
春は名のみの風の寒さや。「時にあらず」と声が上げられない時代が来ないように、ちばいみそーらなや。