9日(月)は朝、カヌー6艇で松田ぬ浜を出発した。先週末は天候が崩れ、海が荒れたのでK4護岸から辺野古崎を経て長島にいたる間のオイルフェンスが撤去されていた。今朝はまだそのままの状態で、辺野古崎の岩場を抜けてK8護岸の近くまで行き、土砂陸揚げに抗議した。
カヌーチームがK8護岸に着いた午前8時50分頃には、すでに土砂を積んだランプウェイ台船・屋部5号が接岸していて、間もなくしてバックホーが台船に乗り込んでいった。午前8時54分頃、ダンプカーがやってくると、午前9時頃から土砂の陸揚げが始まった。
カヌーチームは抗議船1隻(不屈)とともに、護岸近くで土砂陸揚げ、埋め立て工事を止めるように訴えた。この日の陸揚げは短時間で終わり、午前10時20分頃には終了した。午前11時過ぎに屋部5号が離岸したが、そのあとに来るランプウェイ台船はなかった。
大浦湾のランプウェイ台船は空の船が多く、土砂が載っている屋部3号、5号、8番の台船の3隻も量はわずかだった。K9護岸でも土砂の陸揚げは行われておらず、悪天候でガット船による補給が間に合わなくなり、土砂切れの状態となっている。
作業和船がオイルフェンスを引っ張ってきて、長島側から再設置を始めた。すぐにカヌーで抗議し、和船の動きを読んでアンカーのブイをカヌーで押さえた。カヌーがいるので運んできたオイルフェンスの端をつなぐことができず、和船はカヌーを避けて別の場所から設置せざるを得なくなった。
作業がはかどらなかったこともあり、作業和船のグループは午前11時に昼休みの休憩に入った。次のランプウェイ台船が土砂陸揚げで接岸する動きはなかったので、カヌーチームは松田ぬ浜に引き揚げて、午前中で活動を終えた。
午後1時25分頃、豊原の高台から埋め立て工区の様子を確認した。土砂を運ぶダンプカーの動きはなく、埋め立ては行われていなかった。
この2週間ほど、重点的に土砂が投入されているN5護岸とK4護岸がつながる角で、埋め立て面積が広がっている。午前中運び込んだらしい土砂をバックホーが均し、整地作業を行っていた。
午後1時40分頃、豊原の海岸や森の上から大浦湾の様子を見た。K9護岸、k8護岸ともにランプウェイ台船は接岸していなかった。K8護岸ではクレーン車が鉄板を吊り下げ、ダンプカーが通る路盤を整備しているようだった。
先にふれたように大浦湾に停泊しているランプウェイ台船は、3隻にわずかな土砂が載り、残り3隻は空の状態だ。台風シーズンが過ぎても、冬場の海の荒れで埋め立て工事が思うように進められないでいる。
明日は天候の回復によりガット船が大量に入り、土砂の積み替えが行われそうだ。それでもガット船からランプウェイ台船に土砂を積み替えないことには陸揚げができない。それだけ手間がかかるが、一方で大量の土砂が運び込まれる。
インターネット上でいくら議論を交わしても、現場に来て行動する人が増えなければ現実は変わらない。埋め立て工事を止めるために辺野古で、安和で、塩川で頑張りましょう。
先週のティダの会の会議でこの記事が話題になった。屋良朝博議員は沖縄タイムスの記者を務めたくらいだから、日本復帰後の沖縄で県民が自衛隊にどういう反応を示し、どれだけの反対運動があったかよく分かっているはずだ。そのうえで自衛隊の祝賀行事に参加し、「駐屯地創設47周年という数字を見ると感慨深い。地元に受け入れられてきた努力に敬意を表する」と発言しているのだから、根っからの自衛隊支持者なのだろう。
屋良議員はもう新聞記者でもなければ軍事評論家でもない。政治家として自衛隊の祝賀行事に参加し、このような発言をすることがどのような影響をもたらすか、考えきれなければ愚かである。この記事を見て笑ったのは誰か、仕掛人たちの思惑に乗せられて自らの首を絞めていることを、屋良議員は自覚すべきだろう。
中国と軍事的に対抗する日米の軍事拠点としての沖縄。辺野古新基地建設と先島地域の自衛隊強化は一体のものだ。すでにキャンプ・ハンセンやキャンプ・シュワブ、北部訓練場で自衛隊が米軍と共同訓練をしている。辺野古新基地ができれば自衛隊との共同使用が進むだろう。
軍隊は住民を守らない。沖縄戦の血の教訓の意味を深く考えなければ、同じ過ちを繰り返すだけだ。屋良議員は先島は自分の選挙区ではない、と思っているかもしれないが、辺野古で新基地反対の運動を取り組んでいる北部住民の多くは、先島の自衛隊強化にも反対しているだろう。体は一つしかないから支援に行けなくても、現場で苦闘する者への連帯意識は強いはずだ。
あちらにもこちらにも色目を使う蝙蝠は信用を失う。分かりきった話だ。