6日(金)は所用がいくつかあり、海上行動は休みを取った。この日は朝から風雨が強く、海に出られる状態ではなかった。所用の合間に豊原の高台から辺野古側埋立工区の様子を見た。午後1時半頃の段階で、K8護岸にランプウェイ台船の姿はなく、埋め立て工事をはじめ作業をしている動きはなかった。
金武湾には辺野古に土砂を運ぶガット船が3隻停泊していた。清和、寿鷲丸、marumasa3号で、すべて空船だった。清和と寿鷲丸は前日5日に、大浦湾でランプウェイ台船に土砂を積み替えた船だ。時化のため南回りで安和沖に戻ることが難しかったのかもしれない。
午後から宜野湾市の佐喜真美術館に行き、「命どぅ宝 沖縄戦の図 全14部展」を見た。
宜野湾市上空は米軍ヘリやオスプレイの爆音が酷かった。美術館に入る前も後も、空を見上げずにいられなかった。
沖縄人や強制連行された朝鮮人を殺したのは誰か。米軍と日本軍の末裔がはびこる島で、沖縄戦の死者が安らかに眠ることができるか。私たちは戦死者を弔うことさえ、まともにできていないのではないか。