24日(月)は選挙のために1日中動き回った。レイモンド・カーヴァーに「ささやかだけれど、役にたつこと」という小説があるが、辺野古新基地建設を阻止するために、ほんの少しでも役に立てればと、自分ができることをやっている。
今回の県知事選挙で、安倍政権の全面支援を受けているさきま淳候補は、最大の争点である辺野古新基地問題について争点ぼかしに明け暮れ、公開討論会からも逃げ回っている。普天間基地の返還を強調し、宜野湾市民さえよければ、名護市民・辺野古区民・ヤンバルの住民のことはどうでもいいかのようだ。
宜野湾市長選挙なら、それも許されるかもしれない。しかし、さきま淳候補は県知事選挙に立候補しているのだ。そうであるなら、全県的な立場に立って、名護市民が新たに受ける基地負担についても、自らの考えを表明する義務がある。それを果たさずに、勝つためなら何でもあり、でいいのか。
名護市長選挙にならって辺野古新基地問題を争点ぼかしする手法が「勝利の方程式」とするなら、それは沖縄の有権者を愚弄するものであり、県知事選挙を形骸化させるものだ。名護・ヤンバルの人口は少ないから、辺野古を無視して反発があっても大したことない、とさきま淳候補は考えているのだろうか。
日本(ヤマトゥ)の利益のために沖縄を犠牲にし、沖縄島の中南部の利益のために北部=ヤンバルを犠牲にする。さきま淳候補はそういう差別の連鎖を実行するつもりか。ヤンバルで生まれ育った者として、こういう知事が生まれるなら恐怖である。
沖縄県知事になる人は、沖縄の中で差別や犠牲が生まれることに、我が身を張って止める人であってほしい。沖縄には、チムグリサン、という言葉がある。他人の痛みを自らの痛みとして心が苦しくなる、そういう人に知事になってほしい。そうでなければ、社会的に弱い立場に置かれている少数者は救われない。
安倍政権と「協調」して、沖縄を分断してはならない。沖縄の知事になる人は、地域を分け隔てすることなく、沖縄のために肝心(チムグクル)をうさぎれー(捧げよ)。それだけの思い、姿勢がないなら、知事候補になる資格はない。