20日に行われた自民党総裁選挙で、安倍晋三首相が3選を果たした。これから3年間、憲法改悪と辺野古新基地建設を強行するために、独裁体質をいっそう強めて強権をふるってくるのは間違いない。
30日に行われる沖縄県知事選挙は、安倍首相にとって総裁選後に迎える最初の重大選挙である。出鼻をくじかれたくない分、力の入れ方も変わってくる。逆に言えば、安倍政権の思い通りにさせないためにも、この選挙を勝たねばならない。
今回の総裁選で、安倍首相は地方の党員からは55・3%の支持しか得られず、〈首相の政治姿勢や党運営への不満が表れた〉(2018年9月21日付琉球新報)という指摘もある。同紙によれば、沖縄の党員・党友の投票率は38・94%で全国最低だったという。県知事選挙に追われているとは言っても、安倍首相が沖縄の党員をまとめ切れていないことも示している。
8月15日付沖縄タイムスに、翁長知事の死に際して追悼文を書いた。〈翁長知事の直接の死因は病である。しかし、そこに至るまでの心労の深さを思えば、翁長知事をここまで追い詰めていったのは、安倍政権の強硬姿勢である〉という一節は、何名かの人に引用していただいた。以下に引用して紹介したい。
翁長雄志知事の訃報に接し、その早すぎる死が残念でならない。おそらく意識が残る最後の時まで、「埋め立て承認の撤回」を自らの言葉で口にしたかったであろう。その無念さを思う。同時に、闘病とリハビリ生活を支えてきた家族の皆さんの悲しみを思う。
翁長知事にとって最大の政治課題は、辺野古新基地建設阻止であった。そのために日本政府・安倍晋三政権と正面から対峙し、その強権的なふるまいに苦難を強いられた。翁長知事が工事の問題点を指摘し、中断するように行政指導を繰り返しても、政府は無視して工事を続けた。
機動隊や海上保安官を前面に出し、ゲート前や海上で抗議する市民を暴力的に排除する。沖縄戦を体験したお年寄りが機動隊に手足をつかまれ、排除される姿に、翁長知事も怒りを覚えただろう。
安倍首相の政治手法は幼稚で劣悪だ。自らに従順な「オトモダチ」はあからさまに優遇し、抵抗する者には徹底して圧力を加える。面談に応じず、反対意見は無視し、予算を削減して嫌がらせを行う。沖縄には憲法も民主主義も適用されないかのような態度を続けてきた。その攻撃を正面から受けてきたのが翁長知事だった。
政府・自民党にとって翁長知事は「裏切り者」であり、それだけに激しい攻撃が加えられた。翁長知事を支える「オール沖縄」の保守・中間層に対する切り崩しは熾烈を極めた。那覇市議会の新風会の解体や安慶田光男副知事の辞任、仲里利信衆議院議員の落選に加えて、支援企業の「オール沖縄」脱退もあった。
翁長知事の直接の死因は病である。しかし、そこに至るまでの心労の深さを思えば、翁長知事をここまで追い詰めていったのは、安倍政権の強硬姿勢である。知事選や国政選挙で示された沖縄の民意と、地方自治を尊重する姿勢が安倍首相にあったら、翁長知事もここまで追い詰められはしなかった。
全国には47人の都道府県知事がいるが、沖縄県知事が置かれている状態は、他府県の知事とは違う。在日米軍基地の7割が沖縄に集中しているが故に、その対策に膨大な時間を割かれる。基地問題がなければ経済振興や教育、福祉などの取り組みに集中できるのに、基地に振り回されて無駄なエネルギーを使わないといけない。
それは市民にとっても同じだ。基地問題がなければ、ゲート前に座り込んだり、海でカヌーを漕いで抗議する必要などない。反対運動で費やす時間を自分がやりたいこと、生産的なことに使えるのだ。しかし、基地絡みの事件や事故が相次ぐため、嫌でも行動しないといけない。それにより肉体的にも精神的にも疲れ果て、命を縮めることにもなる。
翁長知事はよく「基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因」と口にしていた。沖縄経済が基地に依存していたのは過去の話であり、返還させて跡地利用を進めた方が、税収や雇用など多方面で利益が向上する。新都心をはじめ、それは現実として示されている。
また、沖縄の主要産業に成長した観光業は平和産業であり、軍事的緊張が高まれば観光客は来なくなる。2001年9月11日に米国で発生した同時多発攻撃の際、修学旅行を中心にキャンセルが相次ぎ、観光業界は大きな打撃を受けた。同事件は、基地あるが故に沖縄が抱える危うさを示した。
辺野古新基地建設や宮古島、石垣島、与那国島への自衛隊配備は、中国との軍事的緊張を高める。ひとたび軍事紛争が起これば、沖縄の観光業、経済界は壊滅的な打撃を受ける。米軍基地が地域に利益をもたらすなら、全国各地で誘致運動が起こるだろう。だが、ヤマトゥにそのような動きはない。基地が禍の元なのを知っているのだ。
沖縄の若い世代が基地問題に煩わされることなく、自分のやりたいことに専念できる社会を作るためには、辺野古新基地建設を許してはならない。翁長知事はそのような思いで、辺野古新基地問題に心血を注いできただろう。一方で、その目はもっと先を見ていたはずだ。
これから東アジアの政治・経済構造がどのように変わり、沖縄はどのような形でそれに対応するのか。空手や芸能、文化など沖縄が持つソフトパワーを生かし、観光や物流などの優位性をどう発展させるか。様々な構想を考えていたはずだ。
翁長知事にとって辺野古新基地建設に反対する取り組みは、沖縄の将来構想を実現するために、避けて通れない通過点だったと思う。後の世代がこれ以上基地問題で苦しめられないように、自分がここで踏ん張らないといけない。そういう思いで病身に鞭打ち、埋め立て承認撤回の準備を進めていたはずだ。
知事としての任期の後半は厳しい状況だったし、オール沖縄の抱える問題や個々の政策の検証も必要だ。もっと早く承認撤回すべきだった、と私は思う。それでも、沖縄に基地負担を集中させ続けようとする日本政府と対峙し、ぬちかじり(命の限り)闘っていた姿をウチナーンチューは忘れない。
日本政府はこれ以上、沖縄県民を苦しめるな。辺野古新基地建設を今すぐ断念せよ。