株式会社自然と人間社が発行していた雑誌『自然と人間』2018年3月号に「沖縄は日本政府の強権と圧力に屈しない」という文章を書いた。同誌は3月号が最終号だったが、これまで何度か書く機会を与えていただいた。
そのことに感謝しつつ、同号に載せた文章を以下に転載したい。名護市長選挙について書いたものだが、県知事選挙が行われている今も共通の課題がある。なお、数字は読みやすいように算用数字に変えた。他は掲載時のままである。
【沖縄は日本政府の強権と圧力に屈しない】
2月4日に行われた名護市長選挙は、安倍晋三政権が全面的に支援する新人の渡具知武豊氏が、オール沖縄が推す現職の稲嶺進氏に3500票近くの大差をつけて当選した。稲嶺氏はこれまで2期8年にわたり、市長の権限を駆使して辺野古の海にも陸にも新しい基地は造らせない、として日本政府と対峙してきた。地元名護市の民意を代表するものとして、稲嶺氏の存在は極めて大きかった。
稲嶺氏の落選によって辺野古新基地建設に反対するオール沖縄陣営は大きな打撃を受けた。しかし、落ち込んでいる暇はない。選挙の翌日もキャンプ・シュワブのゲート前では、資材搬入を阻止しようと座り込みが行われ、海上ではカヌーや船による抗議活動が取り組まれた。
選挙終了後の県内メディアの総括を読むと、安倍政権が稲嶺市長を倒すためにどれだけ力を注いだかが明らかにされている。管義偉官房長官や二階俊博自民党幹事長が来沖し、渡具知氏への全面支援を約束したことに始まり、選挙期間中には100人に及ぶ与党の国会議員が沖縄に入ったという。
彼らは選出母体の業界を回り、組織票を固めていった。表に出て演説するのは小泉進次郎や小渕優子といった知名度の高い議員にまかせ、ステルス作戦と称して企業回り、業界回りを徹底し、票を固めていった。それにより、今回の市長選挙では期日前投票が全有権者の44%に達し、選挙当日の投票を上回る事態となった。
これまで名護市長選挙では自主投票をしてきた公明党も、今回は渡具知氏を推薦し、名護市内に初めて選挙事務所を構えた。公明党沖縄県本部は普天間基地の県内移設に反対の立場だ。それが「在沖海兵隊の国外・県外移設を求める」という公約で渡具知氏と一致した。在沖海兵隊が県外・国外に出て行くなら、新しい基地を造る必要などない。矛盾しているのは明白だが、そういうまやかしで立場を変えた。
創価学会員の中には、沖縄戦の体験や戦後の基地被害の歴史から、新基地に反対の人もいる。その対策のために公明党・創価学会は幹部を名護市に送り込み、徹底した組織固めを行った。
〈オール沖縄の保守層を切り崩す〉
今回の名護市長選挙では、日本維新の会も渡具知氏の推薦に回った。昨年の衆議院選挙で最後に当選したのが同会の下地幹郎氏だった。下地氏は那覇市を含む沖縄1区で立候補していたが、オール沖縄が推す共産党の赤嶺政賢氏と日本政府が支援する自民党の国場幸之助氏には及ぶはずがなく、比例での復活当選をあてにしていた。
全国的に日本維新の会が苦戦するなかで、下地氏のテコ入れのため陰で動いたのが日本政府だった。選挙期間中、自民党沖縄県連の西銘順志郎元参議院議員が、下地氏の故郷である宮古島での総決起大会に参加し、下地氏を応援した。
そこには翌年の県知事選挙をにらんだ思惑があったはずだ。下地氏が落選すれば、県知事選挙に立候補することが予想される。落ちることは分かっていても大きな選挙に立候補することで、有権者から忘れられないようにするのが下地氏の手法だ。そうなれば、現職の翁長知事に自公勢力が対抗馬を立てても、三つ巴になって保守票の一部が下地氏に流れる。翁長知事を打倒するためには、一騎打ちの構図にする必要があり、下地氏を当選させる必要があったのである。
順四郎氏の動きは、日本政府、自民党中央の指示を受けてのものだったと思われる。それによって1区の自民党票がある程度下地氏に流れた。国場氏は選挙区で落選したが、比例で復活当選し、さらに4区では西銘恒三郎氏がオール沖縄の推す仲里利信氏を破った。まさに政府の狙い通りになったのである。
仲里氏を落選させたことは、衆議院4選挙区を独占していたオール沖縄の一角と崩したという以上の意味があった。仲里氏は元県議会議長で、翁長知事とともに自民党県連からオール沖縄に移り、存在感を示していた。その落選は翁長知事に大きな打撃となった。
自民党県連にとって翁長知事と仲里氏は裏切り者であり、支持基盤を競い合う存在でもある。翁長知事を支えていた那覇市議会の与党会派・新風会を解散に追い込んだのに続き、仲里氏を落選させたことは、政府と自民党県連にとって大きな勝利だった。翁長知事を支えるオール沖縄の保守層を切り崩すとともに、日本維新の会を自公勢力に引き込んだ。
〈基地に依存しない沖縄経済をめざして〉
沖縄においても政治の保守化は確実に進んでいる。社民党・共産党・沖縄社会大衆党の三党で革新共闘を組み、県知事選挙や各首長選挙で勝利した時代は、もはや過去の話だ。革新のホープといわれた糸数慶子氏、伊波洋一氏が続けて県知事選挙で敗北し、革新共闘では自公勢力に歯が立たない、という状況が明らかとなったのは2010年だ。
そこで新たに作り出された枠組みが、革新共闘と自民党や経済界の一部が、辺野古新基地建設反対、MV22オスプレイの配備反対を一致点に共闘を組む、オール沖縄という方式だった。日米安保条約や自衛隊、浦添軍港、高江ヘリパッド建設、泡瀬干潟など対立する問題は棚上げにしたうえで、それぞれが腹八分、腹六分で妥協していく。その時に翁長知事が打ち出したのが、イデオロギーではなく沖縄のアイデンティティーを大切にするということだった。沖縄ナショナリズムによる結びつきで日本政府に対抗しようというものだ。
翁長知事をはじめとした沖縄の保守政治家や経済界の一部が、そのような方向に変わった背景には、2000年代になって米軍基地返還後の再開発の成功例が目に見えてきたことがある。北谷町のハンビータウンや那覇市の副都心など、米軍基地を返還させて再開発した方が、雇用や税収も増え、経済発展につながることがはっきりした。翁長知事が強調するように、「基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因」という状況にまで、沖縄の経済構造が変化してきた。
その中心となっているのが観光業だ。沖縄経済は基地・公共工事・観光業に依存する3K経済といわれてきたが、基地と公共工事の比重が低下する一方で、観光業が大きく成長してきた。韓国や台湾、中国など近隣諸国からの観光客も急増し、名護市でも外国人観光客の姿が当たり前に見られる。
その観光業にとって大きな教訓となっているのが、2001年9月11日に米国で発生した同時多発攻撃だ。沖縄の米軍基地は厳戒態勢に入り、修学旅行をはじめとした沖縄旅行のキャンセルが相ついだ。それを契機に観光業者のなかで、観光は平和産業であり、米軍基地とは相いれない、という認識が生み出された。
2000年代に入って以降の沖縄経済の変化を受け、基地に依存するのではなく、観光を中心に自立した沖縄経済を作り、東アジアを視野に入れて発展させていく、という志向を持った経済人が生まれ、翁長知事を支えている。かつて東アジアの貿易拠点だった琉球国をイメージしつつ、沖縄を東アジアの流通拠点にしていく、という大きな視野の下で、辺野古新基地建設に反対し、平和な環境づくりを目指す動きが作り出されている。
名護市においても8年前に稲嶺進氏が初当選した時には、基地に依存した財政構造からの転換が打ち出された。当時、日本政府は基地受け入れとリンクした振興策を打ち出していた。島田懇談会事業や10年間で1000億円の北部振興策など、国からの高率補助で各種施設(箱物)を造り続けると、一部の業者は儲かっても、維持管理費用が後年度負担となる。
このままでは市の財政が深刻な事態となる。市民の中でそのような認識が生まれ、米軍再編交付金を受け取らず、健全な名護市の財政を作り出さねばならない、と訴える稲嶺氏を当選させたのだった。
〈日本人は名護市民の苦悩に思いをはせているか〉
今回の渡具知氏の当選は、歴史の歯車が逆回りしたようだ。辺野古新基地建設に対する態度は曖昧にしながら、米軍再編交付金は受け取るという。政府もすでに支給に向けて動いているが、当然、渡具知新市長が建設に協力することを前提としている。
名護市民の中には、護岸工事が進んでいる今に至っては、どうせ基地は造られるのだから、再編交付金を受け取った方がいい、という考えが再び広がっている。
そこにあるのは諦めであり、無力感だ。新たな基地負担を望む者はない。しかし、国に抗っても勝ち目はない。だったら取れるものを取った方がいい。名護市民のその考えは自然に発生したものではない。これまで何度も基地反対の意思を選挙で示し、米軍による事件や事故が起こるたびに県民集会を開き、抗議を続けてきた。
それでも日本政府は沖縄の民意を無視してすませる。そして、機動隊や海保を使って暴力的に工事を進める。そうやって名護市民・沖縄県民にあきらめと無力感を植えつけてきた。
そのような日本政府・安倍政権に対して、ヤマトゥでどれだけの批判がなされているか。人口6万1000人ほどの小さな市の首長選挙に、ヤマトゥから国会議員が100人も乗り込んできて介入する。この異常さ、安倍政権の横暴を許しているのは誰なのか。
名護市長選挙や辺野古新基地問題について語り、ネットに書き込む日本人は大勢いる。しかし、日本政府の重圧に苦しめられ、基地の犠牲を押しつけられる名護市民に思いをはせる日本人=ヤマトゥンチューはどれだけいるか。
名護市に暮らす者は、辺野古新基地建設問題から逃げることができない。選挙で負けても阻止・抗議行動は続く。それは単に軍事基地の建設問題にとどまらない。沖縄の政治・経済の自立と東アジアの平和的環境をいかにつくり、沖縄を発展させていくか、という大きな視野に基づく運動である。沖縄の今後50年、100年の展望がかかる運動なのだ。日本政府の強権と圧力に屈するわけにはいかない。
辺野古の海では現在、リーフ内の浅瀬で護岸工事が進められている。この夏には本格的な埋め立てが始まったと政府は打ち出すだろう。だが、工事は大規模であり、ゲート前に数百名単位で市民が集まれば止められる。1人でも多くの人が辺野古に来て、海とゲート前でともに阻止・抗議行動を担ってほしい。
以上、転載終り。日本政府は沖縄県知事選挙に向けて、昨年夏から辺野古側の浅瀬で工事を進め、県民の中にあきらめムードを作ってきた。さらに、衆議院選挙では下地幹夫氏を裏で支え、日本維新の会を自公体制に組み込むなど、長期的かつ周到に対策を進めてきている。
名護市長選挙の結果を見れば、政府の思惑通りに事は進んでいた。そこにくさびを打ち込み、自らの命を懸けて流れを変えようとしたのが故翁長雄志知事だ。その遺志を受けて、何としてもここで踏ん張らなければならない。玉城デニー候補を当選させるために、まじゅんちばらなやーさい!
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