県知事選挙に立候補している佐喜真淳氏と山口那津男公明党代表の顔写真が入った看板が、名護市内に設置されている。「対立から協調へ」という赤い文字は、佐喜真氏が選挙運動の中で強調していることだ。言うまでもなく、「対立」をやめて「協調」するという相手は、日本政府・安倍晋三政権である。
故翁長雄志知事は辺野古新基地建設阻止を掲げて、安倍政権と「対立」していた。それを止めて「協調」しようというのだから、佐喜真氏が辺野古新基地建設を政府といっしょに推進する立場であることは明らかだ。そういう本音を表に出すと県民の反発を受けるので、辺野古新基地については争点ぼかしに必死になっている。
そのうえで普天間基地を返還させると訴えているが、「辺野古が唯一の解決策」とくりかえす政府と「協調」して進めるそれは、名護市民、辺野古区民に新基地を押しつけるものでしかない。結局、佐喜真氏がやろうとしていることは、政府といっしょに沖縄県民を分断し、対立させるものだ。
辺野古新基地建設を進めないと普天間基地が固定化される。それは政府による宜野湾市民への脅しである。固定化が嫌なら、名護市民に犠牲を押しつけることを容認しろ。そういう論理で、政府は沖縄県民を分断し、宜野湾市民と名護市民を対立の構図にひきずりこむ。
政府と「協調」する佐喜真氏は、その論理を受け入れて沖縄の中で基地をたらい回しし、名護・ヤンバルの住民に犠牲を強要しようとしている。過度の米軍基地集中という政府による沖縄差別が、形を変えて佐喜真氏により、沖縄の中のヤンバル差別としてくり返される。
なぜ、沖縄県民同市が基地を押しつけあい、望みもしない対立を強いられ、互いに嫌な思いをしないといけないのか。沖縄県民を分断し、対立させ、それを上から眺めて笑っているのは誰か。佐喜真氏も一緒になって笑い、嘉手納より南の基地が返還され中南部が発展するなら、北部はどうなってもいい、と言うつもりか。
故翁長知事が政府と「対立」していたのは、沖縄県民がこれ以上の基地負担、犠牲を強いられることを拒否するためだ。県民同士が争うのではなく、協力して政府の沖縄差別を拒否することを強調していた。佐喜真氏はそれと正反対のことをやろうとしている。
自公連立政権に丸抱えされて知事になろうとしている佐喜真氏がいう「対立から協調へ」は、沖縄の主体性の喪失と政府への従属をもたらすだけだ。誰も望んで対立する者はいない。しかし、力で支配し、従属と犠牲を強制しようとする者には、対立してでも自らの身を守らないといけないのだ。