9日(水)は午前中がカヌー8艇、午後が11艇で抗議船1隻(ウマンチュ)とともに海上行動を展開した。辺野古岬の方に様子を見に行くと、N3護岸は先端部が根固め用袋材で覆われていた。先端部を保護するためだが、見た目にもN3護岸は低く、海が荒れれば簡単に波が越すだろう。その問題を下記のブログが解説している。
https://blog.goo.ne.jp/chuy/e/12ae1028b5c5068a05aaffb8c0c50e25
とにかく各護岸をつないで囲い込みをし、土砂を投入して本格的な埋め立てが始まった、ということを日本政府・沖縄防衛局は宣伝したいのだ。まずは県知事選挙に勝つことを最優先し、県民をあきらめさせるために、後戻りのできない状況を演出しようとしている。
そのためには手段を択ばず、ずさんな工事で自然破壊を増大させても平気なのが沖縄防衛局だ。高江でも当初の計画をはるかに上回る木々が伐採され、工事用道路に砂利が敷き詰められて森を分断した。
辺野古でも稀少サンゴの移植もせず、汚濁防止膜で海底の藻場を破壊しながら工事を急いでいる。でたらめ極まりない状況だ。
K4護岸の辺野古岬側では捨て石の投下が行われていた。午前中の最初の抗議行動はここで行ない、オイルフェンスを越えて護岸をめざしたが、海保のゴムボートに拘束されて松田ぬ浜に運ばれた。
松田ぬ浜に向かう途中、キャンプ・シュワブの廃弾処理場では、何度も爆発音が響いて白煙が上がっていた。その音は大型の花火が打ち上げられたようで、海上まで鳴り響いた。近くの国立高専や久辺小中学校ではどれだけの衝撃音だっただろうか。
この爆発音一つをとっても、キャンプ・シュワブが地域の教育環境、生活環境をどれだけ破壊しているかが分かる。朝から小銃の射撃音とオスプレイやヘリの爆音が響く。こういう劣悪な環境で学ばなければいけない学校が、日本にどれだけあるか。
今でさえこれだけの被害がある地域に、新たに飛行場と軍港、装弾場を備えた新基地を造ろうとしているのだ。仮に新基地が完成すれば、地域住民の生活と子どもたちの学習環境はどうなるのか。こういう理不尽なことがどうして許されるのか。
K3護岸はすでに完成し、K4護岸に角度が変わって捨て石が伸びた所に、今日は被覆ブロックの設置が行われた。カヌーチームは何度もオイルフェンスを越えて抗議をくり返したが、午後3時頃には被覆ブロックの設置が終わり、そのあと汚濁防止膜の張り直しが行われていた。
沖縄は梅雨入りしたのだが、この日は雲が広がっていても雨は降らず、時おり日差しもさした。しかし北風は冷たく、対応が難しい天気だった。
海保の圧力が厳しい中、1日に何度もくり返して抗議を続けるには、肉体的にも精神的にもタフでなければならない。朝、起きた時は難儀ヤッサ―と思うのだが、海に出るとガッティンナラン、と感情が高ぶり、やる気が湧き起る。やはりまずは現場に出ないといけない。
5月の沖縄はユリやイジュ、サンニン(月桃)、コンロンカなど白い花が野山を飾る。そういう中でテント2のカヌー置き場のそばではウッチン(ウコン)の花が淡い紫の花を咲かせている。抗議行動の合間や終りにこういう花を眺めている。