13日は朝、カヌー13艇で松田ぬ浜を出発した。キャンプ・シュワブの浜には米軍の水陸両用車が並んで訓練の準備をしていた。この日はカヌーや船が抗議をしている間、浜で上陸訓練をくり返していた。近くの浜では工兵隊なのか、チエンソーで丸太を切る実習も行われていた。
最初に日曜日に張られたフロートやオイルフェンスの様子を見た。昨日も辺野古漁港の堤防から見てフロートの張り方が変だと感じたのだが、近くで見てもその印象は変わらない。実際に作業が行われると思われる木枠の設置された浜の前ではなく、そこからずれた位置にフロートが張られているのだ。
一番南側にあり沖に伸びている大型オイルフェンスの設置場所は、2014年の夏に海底ボーリング調査が行われた際、一番最初にフロートが張られた場所である。ここが臨時制限水域の南端にあたるらしく、それより南側(写真では左側)にはフロートを張れないらしい。
そのため、臨時制限水域の外側にあたる作業場所の前にはフロートがない。木枠が組まれた場所は、浜に単管を組んで緑のネットを張っているだけで、海の方は何もない。右側のフロートやオイルフェンスは用をなしておらず、冗談のような状態となっている。
作業員もこの状況にはプレッシャーを感じているらしく、午前中は浜の上の駐車場で様子を見ているだけで、目立った作業はなかった。カヌーのメンバーは監視活動を続けながら、大型オイルフェンスを乗り越える練習をしたり、オイルフェンスの上で座禅を組んで瞑想したりしていた。
テントで昼食をとって現場に戻ると、午後一番に動きがあった。上の駐車場で待機していた小型のショベルカーが髑髏の絵の前に下りてくると、先週置いてあった鉄板の位置を調整していた。この場所で重機を使うため、キャタピラーが道路を傷つけないように鉄板を敷いている。同時に浜に作業員が降りて、測量を始めた。
続けて大型のショベルカーがトレーラー車で運ばれてくると、髑髏の絵の前に下ろされ、浜に設置されていた塩化ビニールのパイプが片付けられた。これがあると浜に捨て石の投下ができなかった。まだ黄色い看板が付いた単管が残っていたが、仮設道路の建設に向けた準備が進められた。
明日以降、このショベルカーを使って、ダンプカーが運んできた捨て石を浜に投下しそうだ。ここも台風対策をしなければならず、そう長くは造れないだろう。しかし、沖縄防衛局はあちこちで護岸工事や仮設道路の工事を始めることで、埋め立てに向けた工事が進んでいると印象付けようと必死だ。
塩ビパイプが片付けられたあと、カヌーと船で監視活動尾を行なっていると、軍の警備員が浜に下りてカヌーを出し、警告をくり返して右往左往し始めた。おかげで作業員たちは上から見守っているしかなく、作業がかなりの時間止まった。軍の警備員がしゃしゃり出て工事を止めているのだから世話はない。
カヌーチームは午後4時過ぎまで監視・抗議活動を行って松田ぬ浜に引き揚げた。暑さが厳しいなか、海上からの監視と抗議が続く。