4日は朝、カヌー15艇で松田ぬ浜を出発した。辺野古岬の岩場付近は新たなフロートや網の設置はなく、長島近くまで漕いで作業和船の動きを見た。前日までにフロートの設置をひとまず終え、この日は休みをとったようで海上作業の動きは見られなかった。
長島の間を抜けて大浦湾に出ると、前日3日に設置されたフロートの様子を確認した。小玉のフロートに俵型のフロートを付け、網で覆っている。カヌーや船が越えられないようにとの考えだろうが、古くて薄汚れた俵型フロートも混じっている。網も古ぼけていて、倉庫の隅で放って置かれた物をかき集めてきたように見える。
大浦湾の風と波、日光にさらされて、いずれ網は破れ、ゴミとなって大浦湾を汚すだろう。辺野古岬と長島の間に張ってある緑の網も、金属棒の爪にかけてある所はこすれて、すでに切れている。沖縄防衛局は自分たちで浅はかな物をこしらえ、壊れたらカヌーや抗議船のせいにするつもりだろう。腐りきった組織の考えることは高江でも辺野古でも一緒だ。
フロートは途中から二重になっていて、海底ボーリング調査を行うポセイドン1という船を入れるために航路を開けている。実態を確認してから海保の浮桟橋に移動した。
浮桟橋のある浜には作業和船11隻が陸揚げされたままとなっていた。米軍のレジャービーチはフロートやオイルフェンスがなくなり、すっきりした。土曜日にしか参加できないメンバーもいるので、カヌーの練習もかねて大浦湾を漕ぎ、午前10時半頃まで様子を見て松田ぬ浜に戻った。
テントに戻ると昼食は差し入れの弁当があり、美味しくいただいた。海底ボーリング調査を行う大型の作業船ポセイドン1が安謝港を出て移動中ということで、何か動きがあったときは対応できるようにして陸上で待機した。いつも通り、カヌーや抗議船が対応できない明け方に来るようなのを確認して引き揚げた。
人の世の右往左往あれやこれやなど端から相手にせず、テントの安楽椅子ではマヤーが寝ている。寝る子は育つ……、育ちすぎだが。