3日は朝、カヌー12艇で松田ぬ浜を出発した。長崎(辺野古岬)の岩場近くのフロートまで漕ぎ、網を張る単管の柵の状況を確認した。
1日の午後4時以降、カヌーチームがいなくなってから設置された柵が浜から50メートルほどまで伸びている。その先は鉄棒に張られら網との間に空白があるのだが、それにしても夕方にかけて作業をするとは、余程カヌーチームの抗議が嫌らしい。
午前中は途中から一部が長島側に移動し、作業和船の様子を見た。米軍のレジャービーチでは小玉のフロートに俵型フロートを取り付ける作業が続けられていた。ほかに作業和船が汚濁防止膜のアンカーにするコンクリートブロックの投下地点に浮き球を付けたり、外周のフロートの補修作業などを行っていた。
長島周辺や辺野古岬付近では作業はなかった。平島に移動して昼食と休憩をとり、午後も同じ態勢で長島側と辺野古岬側に分かれ作業の様子を見た。
午後になってレジャービーチのフロートの引き出しが始まった。タグボートで沖合に曳航するのにあわせて、長島南側のフロートに作業和船が来て網やロープの補修を始めた。こちらは陽動作戦で、フロートを曳いたタグボートが長島側に向かっていたので大浦湾に出た。
俵型のフロートを付けた小玉フロートがどこに設置されるか注目していたのだが、長島の近くに設置されたフロートに接続して航路付近に伸ばされた。カヌーと船3隻で抗議したが、海保のGBにカヌーは全艇が拘束されてタグボートや作業和船の近くまでは行けなかった。
年明けからフロートの再設置が始められ、1か月もかけてやっと終わろうとしている。週明けには海底ボーリング調査や汚濁防止膜用のコンクリートブロックの投下を始める予定のようだが、そんなに簡単に事が進むと思ったら大きな間違いだ。
カヌーチームも抗議船団もどれだけ弾圧にさらされようと阻止・抗議行動を続ける。フロートにロープや網を張りめぐらし、海保のゴムボートで拘束する。それを越えて作業現場に近づくのは容易ではないが、屈するわけにはいかない。沖縄の反戦・反基地運動は生活の場から発している。やめれば生活が破壊されるのだから、やめるわけにはいかないのだ。