12日は朝、カヌー12艇で松田ぬ浜を出発した。辺野古岬に向かって北上し、大浦湾に出て抗議船3隻と合流した。前日、米軍のレジャービーチに新型フロートが並べられている、と抗議船から連絡があったので、この日はカヌーチームもそれの確認と抗議に行った。
現場では午前、午後と大型フロートをトラックで運んできて浜に並べると同時に、フロートに装着する器材をクレーン車で下して取り付ける作業が進められた。フロート4個に1個くらいの割合で、枠のようなものをはめてT字型の突起物を付けているのだが、何に使用するのか憶測が飛び交った。
カヌーや抗議船の侵入防止なのか汚濁防止膜を付けるためなのか、掘削用の大型船のためなのか、いろいろ話が出たが、何にしろ使用されたら対処するだけのこと。2014年の夏にカヌーの抗議行動が始まったときは、小玉のフロートさえ越えることができなかったのだ。大玉のフロートが導入されたときも、どうやって越えるか、議論になったが、三重、四重にされても越えてきた。
それにしても装具を付けるために時間がかかり、フロートの設置が遅れている。昨日、今日とフロートやオイルフェンスの浜からの引き出しはなかった。海上行動の圧力によってフロートが大型化、複雑化することによって作業が遅れていく。そもそも、カヌーや抗議船が海に出なければ、フロートやオイルフェンスを張る必要もないのだ。
浜にフロートを運んでから突起物を装着するのは、最初から付けていると運搬や保管が難しいからだろう。台風時に片づけるときはどうするのだろうか。いったん海に出すと、浜に引き揚げるときも突起物が邪魔になる。どれくらいの量のフロートに突起物を付けるのか、どこに設置するのか監視が続く。
レジャービーチの隣にある辺野古弾薬庫下のくばま(小浜)では、名護市教育委員会による埋蔵文化財の試掘調査が行われていた。小型のバックホーで砂浜を掘ったり、アダンの茂みを切り開いて測量するなどの作業が行われていた。
辺野古弾薬庫近くの国道沿いから、ゲート前で阻止・抗議行動を行っている皆さんが、海上行動を応援してくれた。シュプレヒコールや激励の声にカヌーメンバーもパドルを立てるなどして応えた。
午後3時半を過ぎて、米軍のレジャービーチから浮桟橋の方に移動した。カヌーや抗議船が帰ってからフロート引き出しの作業を行うことがあるので、それを警戒してタグボートの近くで警戒態勢をとった。同船はこの日、ほかの作業和船とともに瀬嵩方面に設置されたアンカーの確認とブロックの点検、浮き球の取り付けなどを行っていた。
午後3時45分頃から、陸に戻りそれまでプレハブの事務所にいた作業員が姿を見せ、カヌーの様子をうかがい始めた。カヌーが引き揚げるのを待っているのがありありだったので、残って様子を見ていると午後4時半頃になって作業員が浮桟橋に出てきた。
作業和船を2隻出してタグボートに向かったので、残っていたカヌー9艇で即座に抗議行動を行った。帰りかけていた海保があわててゴムボートを海に出し、最後はカヌー全艇が拘束されたが、こうやって粘り強く抗議を積み重ねていくことが工事に対する圧力となる。
粘り強い行動を続けるには、肉体的にも精神的にもタフでなければならない。週末は冷えるが頑張りましょう。