高江のヘリパッド建設のためには、工事に必要な重機類と資材を現場に入れる必要がある。それを阻止するためにこの間、反対する市民側はゲート前をテントや車両で封鎖し、県道70号線を中心に路上で抗議行動を行ってきた。
すでに完成したN4のヘリパッド建設の際、沖縄防衛局はどのようにして資材の砂利を搬入したのか。反対運動の側からすれば、なぜ搬入を阻止できず、入れられてしまったのか。それを反省するのは、いまのN1ヘリパッド建設を考えるうえでも重要だ。
2012年7月頃、沖縄防衛局はN4ゲート前に砂利を積んだダンプカーとクレーン車を持ってきた。そして、クレーン車で鉄籠(てつかご)を吊り下げ、その中に砂利を詰めた袋を入れて、封鎖されたゲートの扉や前に置いた車両の上から基地内に搬入しようとした。その時は市民がゲート前で激しく抗議し、市民の頭上からクレーンで重量物を移動するのは危険でもあるため、搬入は思うようにいかなかった。
その後も沖縄防衛局はN4ゲートから砂利を搬入しようとする動きを続け、それを阻止しようと市民はゲート前で抗議行動を続けた。それによってN4での工事は進められているものの、砂利搬入は止められているかのように見えた。
しかし、すべては沖縄防衛局の芝居であり、市民の側はうまく出し抜かれてしまっていた。実は沖縄防衛局と市民が対峙している間、県道70号線を北勝建設のダンプカーが砂利を運んでいた。当時、ヘリパッド建設を請け負っていたのは大米建設だった。沖縄防衛局は大米建設がN4ゲートから砂利を入れるかのように装いつつ、北勝建設を使って別の工事の名目で砂利を北部訓練場のメインゲートに運び入れていたのだ。
メインゲートからN4のヘリパッド建設現場までは、訓練場内の道路でつながっている。途中、福地ダムにかかる橋の道幅が狭く、重量制限もあるため10トンダンプカーでは運べないので、フレコンパック(トン袋)に砂利を詰め替えて訓練場内に保管してあった。のちに琉球朝日放送が空から撮影した映像で大量にトン袋が並んでいる様子を報道するまで、市民はその事実に気付かなかった。
いや、まったく気付かなかったのではない。砂利を運んでメインゲートから入る北勝建設のダンプカーに疑問を抱き、ヘリパッド建設用の資材の疑いがあるから阻止行動をとった方がいい、と考えた市民もいた。しかし、その考えが広く共有されて実際に阻止行動がとられるまでにはいたらなかった。結果としてそれが、N4のヘリパッド建設を許すことにつながった。
大米建設は4トントラックでトン袋を建設現場近くまで運び、着陸帯に敷いていった。いったん建設資材の砂利や重機類を入れられてしまうと、米軍提供施設内で進められる工事現場に近づくことはできない。あとは作業員が現場に入るのを阻止するか、追加の資材や機材を阻止するしかない。そうやってN4のヘリパッド建設を遅らせることはできたが、主な建設材料である砂利を入れられてしまったため完成を許してしまった。
市民を欺き、出し抜いて工事を進めるのは沖縄防衛局の常とう手段である。抗議する市民の側はそのことを念頭において、目の前で進行している状況の分析を深めなければならない。状況が正確に把握できないと、抗議の方法を誤ってしまう。
N4の時と違うのは、まだ資材の砂利がすべて搬入されていないということだ。だからこそ政府・沖縄防衛局は、大量の機動隊員を全国からかき集め、砂利搬入のために全力を注いでいる。すでに重機類がN1表から入っている今、砂利搬入をどこまで阻止できるかに、今後のN1やH、Gのヘリパッド建設の帰趨はかかっている。