19日は午前5時に東村の平良集合という厳しい条件にもかかわらず、200台近い車両と500人ほどの市民が集まり、北部訓練場のメインゲート前で集会を開いた。旧盆が明けて沖縄防衛局がヘリパッド建設を再開するのを阻止しようとゲート前に座り込み、デモ行進を行いながら、高江住民の会や各団体、県議、市町村議などの発言が続いた。
これだけの人が集まると機動隊による強制排除は不可能で、集会が開かれている間は砂利を積んだダンプカーの車列も入ることができなかった。機動隊もそのことは承知で、集会が終わるのを見計らって砂利を搬入する体制を組んでいた。機動隊がそういう対応を取らざるをえなかかったことを確認できた意義は大きい。砂利の搬入作業が行われている北部訓練場のメインゲートやN1表ゲートに多くの人が集まり、座り込めばヘリパッド建設工事は止めることができるのだ。
午前8時半を過ぎて集会が続けられているさなか、大阪府警の車両が列をなしてメインゲート前を北上していった。集会が妨害されて混乱が起こったが、大阪府警はN1表ゲートの警備を担当しており、そこに配置についた。そのあと警視庁機動隊の車列もやってきて、メインゲートとN1表ゲートの間に配置につき、ダンプカーの車列を迎える警備体制が準備された。
19日は国が沖縄県を相手に起こした辺野古訴訟の結審日で、午後1時から福岡高裁那覇支部前で集会が予定されていた。それに参加する人も多かったので、午前10時にはゲート前の集会を終えなければならない。参加者が引き揚げた後に砂利運搬を始めるため、機動隊も通常より時間を遅らせて配置についていた。集会で発言する機会があったので、現在の工事の状況を説明し、集会後に砂利搬入が行われるので残ってくれるように訴えた。
砂利を積んだダンプカーと警察の車列は、通常は午前6時半ごろに国頭村の国場組採石場を出発するのだが、この日は集会を避けて午前10時55分ごろに出発していた。午後12時半ごろ、ダンプカーと警察の車列がメインゲートにやってきた。集会後も残っていた市民が車で車列に対し抗議を行い、さらにN1表ゲートとの間で座り込みや歩きながらの抗議を行った。
19日の集会の発言で、これまで取り組んできた車での抗議行動に対し、形だけのもの、焦ってやっている、云々の誹謗中傷があった。これまで車での抗議を続けてきたメンバーの中には、高江で長年抗議行動をやってきて、工事がどのように進められるかを知っている人も多い。工事を止めるためには何をしなければならないか、分かっているからやっているだけのことであり、形だけのつもりもなければ、焦りなどあるはずがない。
抗議する市民の車と警察車両が道路に入り組んだ形で止まり、さらに路上での抗議行動も行われたために、最初の3台が行ったあと残りのダンプカー7台がなかなかメインゲートを出発できない状態が続いた。警察はメインゲートとN1表ゲートの間で車両規制を行い県道を封鎖した。
路上で抗議する市民を機動隊が暴力で抑え込み、顔に膝蹴りをしたり、首や腕の関節をねじり、憂さ晴らしをしている機動隊員もいた。午後2時ごろにすべてのダンプカーがN1表ゲートに入っていったが、午後のこの時間帯まで搬入作業が食い込んだのは初めてだった。工事再開の日に大きな集会を開き、実際に工事を遅らせることができた意義は大きい。この積み重ねが工事の遅滞をもたらす。
20日は早朝、有志3人がN1表ゲートの前で作業員が乗った車4台を止めて抗議行動を行った。集まってきた市民も作業員の車の前に集まり、ゲート前をふさいで抗議の輪を広げた。機動隊は排除の体制が取れないまま、しばらくは見ていることしかできなかった。
そのあと作業員が乗った車はN1の工事現場に入れず、北部訓練場のメインゲート内に移動して、午前中は作業を行うことができなかった。2年前まで行われたN4のヘリパッド建設反対の行動では、作業員の車や資材を積んだ車を止めることが主だった。重機類が工事現場に入ってしまうと、作業員と資材を止めないかぎり工事は進んでいくのだ。
7月22日以降、警察車両が作業員の車や資材を積んだ車を厳重に警備するなかで、そのような行動がなかなかできなかった。この日はやっと高江でのこれまでの取り組みに戻ることができた。ただ、22日以降は抗議行動への対策を強化してくる。作業員はN1表ゲートから現場に入っていくので、早朝から多くの人がそこに集まって止めていくしかない。
20日の砂利搬入は、いつものようにダンプカーが警察車両に守られて護送船団方式で国頭の採石場を出発するのではなく、数台ずつ時間をずらして出発し、平良を過ぎたところに集合してから、警察車両と合流して高江にやってきた。それに対し数台の車で抗議すると同時に、メインゲートとN1表ゲートの間にある高江橋の所でも座り込みの抗議が行われた。
機動隊は車両規制を行うと同時に、座り込んだ市民を力尽くで排除し、機動隊のバスの間に押し込めた。普天間や辺野古でやってきた手法で、炎天下でエンジンをかけっぱなしにしたバスの間に市民を押し込め、暑さと排気ガスで市民を苦しめる嫌がらせである。しかし、勇気ある市民の抗議行動によって搬入作業を終えるのに午前11時ごろまでかかった。
やっとN1表ゲートの周辺でも座り込みによる阻止・抗議行動が取り組まれるようになった。実際に作業が行われている場所に来て行動しなければ成果は出せない。N1表から整備が進められている工事用道路はN1裏まで通され、その後に市民のテントを撤去してH、Gのヘリパッド建設予定地に通じる道路が確保される。N1裏のテントを守りたいと思うのなら、工事用道路の完成を許してはならないのだ。どれだけの人が高江のN1表に来て、いま進められている作業を止めきれるか。すべてはそこにかかっている。