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Channel: 海鳴りの島から

10月21日の海上行動

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 21日(月)は午後からカヌー3艇と抗議船1隻(不屈)で海上行動を行った。

 午後1時27分にカヌーで松田ぬ浜を出発し、K3護岸を過ぎたところまで漕いで不屈に乗り込み、大浦湾に向かった。

 途中、K8護岸ではランプウェイ台船が4隻接岸し、仮置き用土砂の陸揚げを行っていた。

 この日は朝、ガット船4隻(marumasa6号、同7号、同10号、第八高砂丸)が大浦湾に入り、ランプウェイ台船に土砂を積み替えている。

 長島の間を抜けて大浦湾に出ると、湾内の様子を確認しながらK9護岸に向かった。

 瀬嵩沖の海上作業ヤード建設現場では、砕石の投下を中断してボーリング調査が行われるようだ。昨日からボーリング調査を行うクレーン付台船が停泊している。

 この付近の海底も軟弱地盤となっている。砕石を投下する前に十分な調査を行っていなかったのか。

 奥の方にも赤白のスパッドが2本あるクレーン付台船が停泊している。こちらは軟弱地盤が海面から90メートル下まで広がり、問題となっているB27地点を調査しているもの。台船は沖の方に移動し、B27付近の海面にはガイドパイプが2本残されていた。

 A護岸の建設現場では、クレーンは上がっていたが鋼管矢板の圧入は行われていなかった。

 汚濁防止膜のまわりに作業和船が集まり、作業を行っていた。

 この日は不屈から大浦湾の状況を確認し、松田ぬ浜に戻った。

 辺野古崎付近のK5護岸では、K6護岸に続くところまで消波ブロックの設置が進んでいた。

 2か月半ぶりに海上行動に参加したが、松田ぬ浜に隣接するキャンプ・シュワブの浜周辺の変わりように驚いた。

 モクマオウなどの木々が伐採され、ショベルカーが土地の造成を行っていた。

 この浜はウミガメがよく産卵に訪れる場所だった。何が造られるのか分からないが、森が消えて施設ができ、夜間も明るくなれば、ウミガメが浜に上がるのも難しくなるだろう。

 自公政権を倒し、まずはこの新基地建設を止めなければならない。

 


衆議院選挙さなかの辺野古新基地建設に抗議

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 23日(水)は午前11時51分頃、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ新工事用ゲート前に行き、この日2回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。

 33人の市民がゲート前に集まり、座り込んだり歩道でプラカードを掲げて新基地建設反対を訴えた。

 10月下旬だというのに沖縄は、昼間30度を超す日が続いている。地球温暖化が次世代に与える影響を考えれば、新たな米軍基地建設に予算を浪費する余裕などないはずだ。

 基地利権に群がる者たちは、いま、自分たちが儲ければいいとしか考えない。そのツケで苦しむのは子や孫たちなのに。

 生コンのミキサー車や砂、砕石、大浦湾の埋め立てに使用する土砂の搬入が行われた。

 工事車両が五月雨的にやってくるので、機動隊の規制が長時間続き、市民から怒りの声が上がった。

 台風20号の影響で沖縄島周辺の海が荒れているため、この日は海上作業は行われていない。 

 テント村近くの芙蓉の花が咲いている。暑さが続いているせいか、例年よりもピンク色が淡く、花びらの形が悪いように思う。

 3年ほど前にこの木の種を採取し、家で数本育てている。

 開発が進んで、野山に自生する芙蓉の花を見る機会が減った。身近にこんなきれいな花が自生しているのだから、大事にしたいものだ。

 

10月23日(水)の辺野古側埋め立て工区と大浦湾の様子

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 写真は10月23日午後1時26分頃に撮影した辺野古側埋め立て工区の様子だ。

 新工事用ゲートから入ったダンプトラックが、仮置き用の土砂をK3護岸の近くに下ろしていた。

 K3護岸近くの土砂は色が灰色に見え、他の場所の赤土(国頭マージ)とは違う。沖縄島中南部の土(ジャーガル、島尻マージ)の可能性はないかと気になったが、島尻マージは本部半島でも出るので、そちらなのだろう。

 ただ、運ばれてくる土砂の特色については注意して見ておきたい。

 午後1時53分頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。

 台風20号の影響で23日は沖縄島周辺の波が高く、大浦湾で海上作業は行われていなかった。

 この日はガット船が入っていないので、土砂の陸揚げも行われていない。湾内のランプウェイ台船はどれも空だった。

 A護岸の建設が始まり、K9護岸は現在、土砂陸揚げに使用されていない。先端部に設置されていたスパッド台船はK8護岸に移動している。

 A護岸建設現場では、鋼管矢板が20本打ち込まれている。

 N1護岸の建設現場では、被覆ブロックの設置作業が行われていた。

 

みーにし(新北風)吹く季節に

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 みーにし(新北風)が吹いて、沖縄も秋が深まりつつある。

 家の近くの電柱には、毎日のようにサシバが羽を休めて、チンピ―とどこか物悲し気な声で鳴いている。

 庭の池には赤とんぼがやってくるが、仲宗根政善著『沖縄/今帰仁方言辞典』(角川書店)によれば、赤とんぼを「あゕーㇵけーヂャ」と言うらしい。

 仲宗根氏は今帰仁村東側の与那嶺部落の出身なので、西側の仲宗根部落とは発音が少し違う。仲宗根部落では「あゕーぁけーヂャ」と言ったのだろう。

 庭のヒレザンショウにはアゲハチョウがしきりにやってきて卵を産み付ける。そして幼虫が葉を食い荒らすので木が弱ってしまう。

 その幼虫を狙って毎日、ウミピヨシ(イソヒヨドリ)やピンポンビチャ(四十雀)がやってくる。

 木を枯らすわけにはいかないので駆除せざるを得ないが、鳥や人の目を逃れて蛹になるのもいる。

 芙蓉は蕾がほとんど咲き終わったので、いったん枝を切り戻したら、新しい枝が見る間に伸びて毎朝、花を咲かせている。

 パソコンの画面から庭に目をやると、赤紫の花が楽しめる。これも自然の恵みであり、有り難いことだ。

 

ガット船による土砂搬入とサンゴ移植の再開に抗議

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 12日は午前中、カヌー8艇と抗議船2隻(平和丸、ぶるーの船)で海上行動を行った。

 午前7時59分頃、カヌー7艇で松田ぬ浜を出発した。7艇でK3護岸付近まで漕いだあと、平和丸に乗り込んで大浦湾に出た。もう1艇のカヌーは遅れて合流した。

 この日は朝、ガット船3隻(第百三十六伊勢丸、栄雄丸、かいおう丸)が埋め立て用土砂を積んで大浦湾に入った。

 カヌーチームはいつものように航路付近で待ち構え、入ってくるガット船に対し抗議した。

 ガット船のあとから鋼管矢板を打ち込むクレーン付スパッド台船と、鋼管や汚濁防止膜を積んだバージ船も大浦湾に入り、K9護岸側に停泊した。午前中は移動だけで、作業は行っていない。

 航路で海保に拘束され、松田ぬ浜の近くで解放されたあと、再び大浦湾に行きサンゴの移植作業に抗議した。

 この間、海水温が高くサンゴの白化が見られたため、沖縄防衛局は8月26日までに移植作業を中断したと発表した。

 以来、2か月以上中断していた移植作業が、今日から本格的に再開されたので、カヌー8艇で抗議行動を展開した。

 カヌーが近づいたことでダイバーが海から上がり、1時間近く作業が止まった。

 その後、海保が海に飛び込んでカヌーを拘束し、瀬嵩の浜まで運んで解放した。

 移植作業を行ってるダイバーや作業員の中にはヤマトゥンチューも多い。

 沖縄や海が好きで移住してきたのだろうが、自分の金儲けのためにサンゴを破壊し、沖縄人に米軍基地を押しつけて平然としている。

 中には船の上でにやにや笑っている者もいる。腐りナイチャーとしか言いようがない。

 3隻のガット船はランプウェイ台船に土砂を移し、午後12時27分頃にはK8護岸に接岸している台船もあった。

 午後から土砂の陸揚げが行われたと思うが、午前中は工事用ゲートから入ったダンプトラックが、辺野古側埋め立て工区に仮置き用の土砂を下ろしていた。

 軟弱地盤が問題となっているB27の海域には、クレーン付台船が2隻停泊していた。ボーリング作業は行われていないようだった。

 所要のため私は午前中で引き上げたが、カヌー5艇と抗議船2隻で午後も海上行動が取り組まれている。

 

 

ガット船とサンゴ移植への抗議行動/K5護岸付近に土砂投入開始

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 13日(水)はカヌー10艇と抗議船1隻(平和丸)で海上行動を行った。

 午前8時頃、カヌーチームは松田ぬ浜を出発した。K3護岸を過ぎたあたりまで漕いで平和丸に乗り込み、長島の間を抜けて大浦湾に出た。

 この日は朝、ガット船2隻(第八丸喜丸、marumasa7号)が大浦湾に入った。

 いつものように航路近くで待機し、ガット船が入ってくるのに合わせて抗議行動を展開した。

 カヌーや船で抗議しているから、沖縄防衛局は臨時制限水域をフロートやオイルフェンスで囲い、船の出入りの際には航路付近のオイルフェンスを開けないといけない。

 陸上なら警備員がゲートを開閉すればいいが、海上では作業和船やタグボートが何隻も出て、オイルフェンスの結節部を開き、100メートル以上も曳航して移動しないといけない。

 そのため、作業和船やタグボートの船員が出勤し、作業する時間帯にしかガット船は大浦湾に入れない。

 もし海上での抗議行動がなければ、オイルフェンスの開閉作業も必要なく、航路付近は常時開けたままにしておき、ガット船は早朝や午後5時以降にも大浦湾に出入りするだろう。

 ゲート前の座り込みと同じく、現場で抗議行動を日々続けることによって、工事に制約を加えることができる。

 国が警察や海保という暴力装置を使って工事を強行するのに対し、市民が阻止・抗議行動を続けるのは大変な労力を要する。

 薄っぺらな取材やネットの情報で知ったかぶりするのではなく、カヌーに乗って海に出てみればいい。

 日当がもらえるだの、ジュゴンの方が大事だの、そういうデマやたわごとの下劣さが体感で分かるだろう。

 航路で海保に拘束され、松田ぬ浜近くまで運ばれて解放されたあと、再び大浦湾に移動し、サンゴの移植作業に抗議した。

 この日から大型サンゴの移植作業も再開されている。海水温上昇のため2か月以上も移植作業が中断した。沖縄防衛局は遅れを取り戻すため、これまで以上に移植作業を無理押しするだろう。

 移植に名を借りたサンゴの破壊作業を止めるために、海上はもとよりあらゆる場で抗議の声をあげたい。

 辺野古崎付近に新たに建設されたK5・K6・K7護岸で囲われた内側に、土砂を投入する作業が今日から始まった。

 現場は岩場で水深は浅いので、埋め立ては短期間で進むだろう。海上からもK5護岸近くに土砂を下ろすダンプトラックの姿が見えた。

 将来は装弾場となる場所である。ここで積まれた弾薬が人を殺傷するのだ。

 この工事に携わっている者たちは、その殺傷に責任を負っている。私は土砂を運んだだけだ。サンゴを移植しただけだ、と言い逃れはできない。

 ほかにA護岸では汚濁防止膜の設置が行われていた。

 

 

辺野古新工事用ゲート前で資材搬入に抗議

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 18日(月)は午前11時53分頃、名護市辺野古の新工事用ゲート前に行き、この日2回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。

 30人ほどの市民がゲート前に集まり、座り込みやプラカードを掲げて新基地建設に反対した。

 11月の後半に入ったが、沖縄はまだ半袖で過ごせる。先々週から雨の日が多かったが、今日は青空も見えた。

 海の方は風が強く荒れていたので、この日の海上行動は中止となった。

 生コンのミキサー車やN2護岸建設に使うと思われる石材、埋め立て用土砂などを積んだ工事車両が断続的に入っていった。

 大浦湾の埋め立てに使用する土砂が、海からはガット船によって、陸からはダンプトラックによって連日運び込まれている。

 あと十数年かけて辺野古新基地が完成しても、滑走路が短くて輸送機が使用できないので、すぐに普天間基地が返還されるわけではない。那覇空港の滑走路を米軍や国連軍が使用できるようにしなければ、普天間基地は返還されないのだ。

 米軍からすれば、辺野古新基地建設が続いている間は、普天間基地を使い続けることができる。軟弱地盤の難工事などで新基地建設が遅れれば、米軍にとってはむしろ都合がいいだろう。

 沖縄の基地利権に群がる者たちにとっても、工事が長引いて予算が膨らむのは好都合だ。こうやって税金が浪費され、沖縄の基地負担は何も「軽減」されないまま、腐りきった政治の結果として、いつか大事故が発生する。

 与那国島で陸上自衛隊のオスプレイが事故を起こしたが、機体の横揺れの映像を見れば、あわや大惨事になるところだった。乗っていた自衛隊員たちはビビっただろうが、与那国町長や石垣市長も乗っていて、オスプレイの「安全性」を体験すればよかったのに、と思った。

 午後12時19分頃、新工事用ゲート付近から大浦湾を見ると、ガット船・marumasa10号がランプウェイ台船に土砂を積み替えていた。

 この日は朝、ガット船が3隻(marumasa10号、栄雄丸、第百三十六伊勢丸)が大浦湾に入り、土砂の積み替えを行っている。

 K8護岸にはランプウェイ台船が2隻接岸し、土砂の陸揚げを行っていた。

 午後1時31分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。

 新工事用ゲートから入ってきたダンプトラックと、K8護岸で陸揚げされた土砂を運んできたダンプトラックが、仮置き用の土砂を下ろし、ショベルカーが積み上げていた。

 並行してK5・K6・K7護岸で囲われた辺野古崎の岩場付近にも土砂が投入されていただろう。

 午後2時5分頃、瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。

 A護岸建設現場では台船のクレーンが上がっていたが、この時間帯には鋼管杭を打ち込む作業は行われていなかった。

 K8護岸ではランプウェイ台船2隻による土砂陸揚げが続いていて、新たに1隻が着岸しようとしているところだった。

 海上ヤードの建設場所にはクレーン付台船が停泊していたが、こちらもボーリング調査は行われていなかった。

 この日は海峡が悪いせいか、サンゴ移植の船も見られず、海人の警戒船も出ていなかった。

 N1護岸ではクレーン車がもっこを吊り下げていて、石材の投下が行われていた。

 森の坂道を歩いていて足元を見ると、種から生えたばかりの木の葉が不思議な色をしていた。

 発芽直後に葉がこういう色になる樹木があるのか。みじらしいむんえいびーさー。

 

航路でガット船に抗議/K9護岸外側のサンゴ移植作業ほか

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 20日(水)はカヌー5艇、抗議船1隻(平和丸)で海上行動を行った。

 カヌーチームは午前7時55分頃、松田ぬ浜を出発した。

 K3護岸とK4護岸の角付近まで漕ぎ、平和丸に乗り込んで大浦湾に向かった。

 20日は朝、ガット船3隻(第八高砂丸、國喜18、進朋)が大浦湾に入った。

 ガット船は現在、名護市安和の琉球セメント桟橋で土砂を積み込み、大浦湾まで運んでいる。本部港塩川地区での積み込みは行われていない。

 県内メディアの報道によれば、今日から宮城島の鉱山の土砂を中城湾港で積み込んでいる。中城から辺野古までは同じ東海岸で距離も近い。

 カヌーチームは航路で抗議行動をくり返していくが、辺野古新基地建設に反対する陸での抗議は中部にも広がっていく。

 今ある米軍基地の負担だけでなく、新基地建設に反対する沖縄人の負担がさらに増していくのだ。

 沖縄に米軍基地の負担を押しつけて、自分たちは何の負担もなく暮らしているヤマトゥンチューたちは恥を知るべきだ。

 日米安保条約がなければ日本の平和は保てない、と言いながら、米軍基地の負担を負うことはない。それを当たり前のこととして関心すら持たない。

 こんな卑劣な日本=ヤマトゥのために、沖縄人は二度と戦争の犠牲になってはいけない。

 K9護岸の近く、フロートの外側にある大型サンゴの移植作業が行われた。

 海保のゴムボートがあらかじめ警戒線を敷いていて、近づいたということでカヌー1艇が拘束された。

 よほど海中での作業の様子を見せたくなかったのだろう。この付近はクレーン付台船が入って来られない海域だが、大型サンゴを割ってタグボートで運ぼうとしていたのか。そういう疑いすら湧いた。

 A護岸建設現場では、クレーンで試験用の杭を上下させて試掘を行っているようだった。

 そばのバージ船には鋼管杭が6本載っていて、これまで22本が海に打ち込まれている。

 カヌー3艇がフロートを越え、A護岸の建設に抗議して拘束された。

 K8護岸では午前9時半頃、2隻のランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げを行っていた。

 午前11時頃、ガット船から土砂を積み替えたランプウェイ台船が、K8護岸に着岸しようとしていた。

 午前9時半頃、軟弱地盤で問題となっているB27付近に停泊しているクレーン付台船の、ボーリング調査を行う枠の所に作業員2人が確認できた。

 ボーリング用の杭は入っておらず、午前中、ボーリング調査は行われていない。

 K6護岸では消波ブロックの設置作業が行われていた。

 


タイワンハブの生命力

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 21日(木)は午後、家の裏の草刈りをしていたら、突然、足元からタイワンハブが這い出してきて、目の前を移動していった。

 細長いサンカクチブル(三角頭)に模様から、すぐにタイワンハブだと分かった。

 いきなり目の前に現れたので余裕がなく、手に持っていた鎌で反射的に切りつけたら真っ二つになった。

 切れた頭の部分は這って逃げていき、残った尾の部分を持つと勢いよくくねっていた。

 逃げていった頭の部分を探し出すと、胴体を切断されて下半分を失っているのに、頭の部分だけで移動していく。その生命力に驚かされた。

 11月も下旬になるが、まだ活動している。噛まれなくてよかったが、草刈りを怠っていたことと注意の足りなさを反省した。

 うとぅるしむんぬどぅーたっちらってぃんぽーやーぽーやしち、きーちきらんねーないびらんさー(恐ろしいものが体を叩き切られても這っていて、気をつけなければいけません)。

 

辺野古新工事用ゲート前抗議行動

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 12日(金)は午後2時55分頃、名護市辺野古の新工事用ゲート前に行き、この日3回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。

 17人の市民がゲート前に集まり、座り込みや歌声、プラカードを掲げて資材搬入に抗議した。

 今日は数人の若者が取材に来ていたが、現場の様子を自分の目で確かめ、話を聞く姿勢を大事にしてほしいものだ。

 私が初めて反戦集会に参加したのは、大学に入って間もない1979年の4月28日だった。平和通りから国際通りをデモしている最中に機動隊に暴力を振るわれ、そのことに対する驚きと怒り、疑問が沖縄の基地問題を考え、自分なりに行動していくきっかけとなった。

 本やインターネットから情報を集めて分かった気になってはいけない。現場を歩いて自分の身で体験しなければ、どんな問題でも深く理解することはできない。

 生コンプラントの原料や砕石、埋め立て用土砂、根固め用袋材に使われるようなぐり石などを積んだ工事車両が断続的に入っていった。

 工事車両は数台から十数台に分かれて間をおいてやってくるので、抗議する市民は機動隊によって長時間歩道に閉じ込められている。

 それはまた、機動隊や海保の力を借りなければ、新基地建設工事が進まないことを意味している。莫大な予算を浪費し、何も生産しない基地を造ることで、新しい産業を作り出すための教育や研究の予算と機会を失っているのだ。それがどれだけ愚かしいことか。

 上の二人はいつも新工事用ゲートの内側に立っている防衛局員、下の二人は今日の資材搬入の責任者らしい作業員たちだが、沖縄がどれだけ基地被害で苦しもうと無視して、何も感じないようにしているのだろうか。

 基地利権に群がる者たちからすれば、戦争は利益を生み出すビジネスなのだ。兵器を作る軍需産業にしても、基地を造るゼネコンにしても、どこかの国で人が死に、傷ついても他人事でしかない。

 沖縄防衛局員や辺野古で新基地建設の工事を請け負っている者たちにしても変わりはない。軍事基地を造ることは橋やダムを造ることとは根本的に違う意味を持つ。そのことから目をそらしても、造った責任から逃れることはできない。

 午後3時25分頃、辺野古弾薬庫そばの歩道から大浦湾を見ると、K8護岸では土砂を積んだ2隻のランプウェイ台船から陸揚げ作業が行われていた。

 隣のスパッド台船に接岸しているランプウェイ台船2隻は空だった。

 



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