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Channel: 海鳴りの島から

ガット船の土砂積み替えに抗議/A護岸の工事が止まっている

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 7月に入った。2日(水)はカヌー6艇と抗議船1隻(平和丸)で海上行動を行った。

 カヌーチームは午前8時5分頃、松田ぬ浜を出発し、途中で平和丸に乗り込んで大浦湾に向かった。

 辺野古崎のK8護岸上にはダンプトラックが並び、ランプウェイ台船から仮置き用土砂の陸揚げを行っていた。

 長島の間を抜けて大浦湾に出た。

 午前8時33分頃、砂利採取運搬船2隻(marumasa2号、第十八太海丸)と仮置き用土砂を積んだガット船2隻(美鍛丸、清明)、海上ヤードの砕石を積んだガット船1隻(第65天神丸)が大浦湾に入った。

 船が近くまで来ていて、波が高かったこともあり、航路でカヌーを漕ぐのはやめて船上から監視するにとどめた。

 午前8時59分頃、ガット船・清明が土砂積み替えのためにランプウェイ台船に接舷しようとするのに対し、カヌーでフロートを越えて抗議した。

 入ってきたガット船や砂利採取運搬船は、ほとんどがすぐに積荷の瀬取り(積み替え)を始める。

 フロートから距離があり、海保が飛び込んでくるので船の傍まで行くのは難しいが、少しでも近くまで行ってプラカードを掲げ抗議している。

 伊是名沖で海底の海砂を採取して来たmarumasa2号は、デッキバージに砂を移し替えていた。

 こちらは白い砂を採取している。沖で採取しても海岸の砂が沖に流れていくので、砂浜が消失する場合もある。

 砂もろとも海底の生物も吸い上げ、観光資源である砂浜の破壊にもつながる海砂の採取が、軟弱地盤改良工事のため連日行われている。

 第十八太海丸は嘉陽沖で海砂を採取しており、海域が違うのでこちらの砂は黒っぽい。

 嘉陽の浜はウミガメの産卵地として知られていた。

 しかし、海砂の採取によって浜の砂が沖に流れ、浜の荒廃が進んでいる。

 観光沖縄を謳いながら、浜の荒廃を生じさせる海砂の大量採取に対し、沖縄県は積極的に規制しようとしない。

 いずれは観光業者や漁業者に大きな打撃を与えることになるのにだ。

 辺野古新基地建設のための海砂採取を止めましょう!広く声をあげていきたい。

 A護岸は先週の火曜日に鋼管矢板を1本打ち込んでから、新たな打ち込み作業が行われていない。

 今日は汚濁防止膜の撤去作業が行われていて、しばらくは打ち込み作業を中断するようだ。

 先週の火曜日の作業は1本打ち込むのにかなりの時間がかかっていたとのこと。 

 台風が接近しているわけではないので、何か不具合が生じたのだろうか。

 東の風が強まり、大浦湾は白波がかなり立ち始めたので、午前10時半過ぎに海上行動を終えた。

 


7月4日の辺野古側埋め立て工区と大浦湾の様子/新ゲートからの資材搬入は無し

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 4日(金)は米国の独立記念日で、かつ石破首相が選挙応援で来沖していることもあってか、新工事用ゲートからの資材搬入はなかった。

 午前11時半頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。

 K8護岸からの土砂陸揚げもなく、工事は行われていなかった。

 午前11時51分頃、瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。

 4隻のガット船(marumasa6号、栄雄丸、清明、進朋)がランプウェイ台船に土砂の積み替えをしていた。

 marumasa6号は積み替えを終え、すぐに大浦湾を出ていった。

 栄雄丸が次に積み替えを終えたが、大浦湾に残っていた。

 清明と進朋はまだ土砂の積み替えを行っていた。

 残りの3隻もこのあと大浦湾を出て、塩川沖に戻っている。

 marumasa6号から土砂を積み替えたランプウェイ台船はタグボートに曳航され、N1護岸の近くに移動して停泊していた。

 ガット船から土砂を積み替えただけで、K8護岸から陸揚げすることはなかった。

 海上ヤードのランプウェイ台船は砕石の補充がなく、作業の動きはなかった。

 A護岸もクレーンは上がっていたが、鋼管矢板の打ち込み作業は行われていなかった。

 次に打ち込む場所のまわりに汚濁防止膜が貼られていた。

 2日は撤去作業が行われていたので、新しい物と交換したのかもしれない。

 N8護岸は両側から投下されてきた砕石部分がつながっていた。

 これから被覆ブロックが設置され、内側に土砂を投入する準備が進められる。

 昨日、参議院選挙が公示された。

 辺野古新基地建設を止めるために、まずは自民党と公明党を政権から引きずり下ろしたい。

 

書評/渡辺清著『海の城 海軍少年兵の手記』(角川新書)

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 以下の文章は、『監視社会ならん!通信』61号(2025年7月10日発行)に掲載されたものです。『監視社会ならん!通信』は辺野古ゲート前のチラシコーナーにも置かれています。ぜひ手に取ってみてください。

 

 著者の渡辺清は1925年に静岡県で生まれ、16歳で志願して横須賀海兵団に入団している。アジア太平洋戦争では、戦艦武蔵の機関銃手としてレイテ沖海戦を戦い、九死に一生を得ている。戦後は自らの戦争体験を書き記すとともに、日本戦没学生記念会(わだつみ会)の事務局長を務めた。

 『海の城 海軍少年兵の手記』は1982年に朝日選書として出版され、2024年7月に角川新書として復刊されている。続編に『戦艦武蔵の最期』があり、こちらは2023年11月に同じ角川新書で先に復刊されている。この2冊で渡辺は、武蔵の艦内生活と戦闘の様子を小説の形でまとめている。

 小説にしたのは、個人的視点をこえて多角的に描くためで、内容は渡辺自身の体験と武蔵のほかの生存者、他艦の乗員への取材に基づく事実が記されている。  

『海の城』では艦名が播磨となっている。それは書かれたことが武蔵に限ったことではなく、日本海軍の艦船全体で行われていたから、と渡辺は記す。 

 艦内生活で渡辺たちを苦しめたのは、下級兵士に対する壮絶な暴力であった。特に夜の甲板に並ばされて樫の棍棒で尻を何度も殴打される制裁は、肉体だけでなく精神をも打ち砕き、自殺者を出すほどだった。

 自ら志願して海軍に入った渡辺は、毎日繰り返される暴力に、自分の甘さを自覚させられる。兵隊は殴れば殴るほど強くなる、という悪しき伝統は、海軍も陸軍も同じだった。沖縄戦のとき17歳だった私の伯母は、今帰仁国民学校に駐屯していた日本軍の食事作りをしていたが、兵隊たちが殴られるのを目にして胸が痛かった、と話していた。

 敗戦から80年が経ち、軍隊生活にあふれた暴力の実態を知らないまま、国のために戦った若者たち、と美化されたイメージが広がるのは危険だ。渡辺が自らの体験を基に書いた『海の城』は、旧日本軍のありのままの姿を伝える。

 昭和天皇の戦争責任を問うた『砕かれた神』(岩波現代文庫)も併せて読んでほしい。

 

辺野古新工事用ゲート前での抗議行動

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 11日(金)は午前11時52分頃、辺野古弾薬庫近くの新工事用ゲート前に行き、この日2回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。

 全体で12人の市民が参加し、ゲート前での座り込みと同時に、工事車両の台数や積み荷の記録も行われている。

 曇り空で小雨がぱらついたが、日差しが照り付けるよりはよかった。

 今帰仁の島ぐるみ会議で参議院選挙に向けたビラ配りをやっているのを手伝ったが、これまで沖縄社大党がつないできた議席を新たな人に受け継いでほしい。

 2回目の資材搬入は、護岸建設用の砕石が中心で、他に生コンのミキサー車、路盤材、生コンプラントの材料のバラス、民間警備会社のゴムボートなどが入った。

 美謝川切り替え工事の現場からは、毎回10台のダンプトラックで赤土が運び込まれている。

 敗戦から80年目の参議院選挙だが、右であれ左であれ中道であれ、米国への従属を否定するなら、真っ先に辺野古新基地建設に反対し、工事を中断に追い込むために尽力すべきだろう。

7月11日の辺野古側埋め立て工区と大浦湾の様子

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 11日(金)は午前11時44分頃、辺野古弾薬庫そばの歩道から大浦湾の様子を見た。

 ガット船・聖嶺がランプウェイ台船に土砂を積み替えているところで、積み替えを終えたガット船・寿鷲丸が大浦湾から出るため航路に向かっていた。

 キャンプ・シュワブの陸地に近い海域で、バックホウ浚渫船が海底の浚渫を行っていた。

 軟弱地盤の海底に砂を撒くトレミー船は、横付けされた台船の砂に緑のカバーが掛けられ、作業を行っていなかった。

 青い船体のガット船は、航路に向かう寿鷲丸。手前の海域では汚濁防止膜の張替え作業を行っていた。

 ゲート前での抗議行動を終えたあと、午後1時34分頃に豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。

 大浦湾の埋め立てに使用される土砂が2カ所に下ろされ、仮置きされていた。

 複数の区域に分けられて土砂が積まれているので、場所によってはトラックの姿が隠れるほどの高低差がある。

 午後2時頃、瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。

 A護岸の建設現場では、鋼管矢板の溶接作業が行われていた。

 作業員と比べると、鋼管の大きさが分かる。

 浜の奥の赤白のパラソルは、作業員たちの休憩所のようだ。

 K9護岸の向かって右側にあるクバマ(小浜)の半分近くまで根固め用袋材が置かれていた。

 K9護岸に向かって、仮設道路の建設工事が今日も行われていた。

 11日は朝、第65天神丸が石材を積んで大浦湾に入っており、海上ヤードの建設位置に停泊しているランプウェイ台船に積み替えたあと、石材を海に投入する作業が行われていた。

 C護岸建設に使用するケーソンを仮置きする場所を作っているのだが、広範囲にわたって石材が投下され、海底は無残な状態となっているだろう。

 手前のスパッドが1本立っているランプウェイ台船は明神3号で、積み替えを終えた土砂にカバーをかけて待機していた。

 その向こうにはトレミー船があり、台船に載った砂には緑のカバーが掛けられ、投入作業は午後も行われていなかった。

 大浦湾からサンドコンパクション船が出て行き始めたのが6月10日頃だ。

 砂杭の打設が1か月以上も中断しており、トレミー船も作業を急ぐ必要がないのだろう。

 軟弱地盤の改良工事はさらに遅れていく。

 トレミー船の奥のK8護岸上にはダンプトラックが並んでいて、接岸したランプウェイ台船から仮置き用土砂の陸揚げを始めようとしていた。

 N1護岸の近くにも船着き場が造られていて、土砂を満載したランプウェイ台船が接岸していた。

 土砂の上にはバックホウが乗っているので、この場所からも土砂の陸揚げが行われているようだ。

 つながったN8護岸では、被覆ブロックの設置が行われていた。

 2000円の古古古米を買うために庶民が行列をつくる一方で、莫大な予算を浪費して米軍のために新たな基地を造っている。

 こんな馬鹿げたことを続けてきたのだから、自公政権化で人々の暮らしが窮迫し、少子化が加速したのは当たり前のことだ。

 こういう政治を作ってきた責任は当然、政治家だけでなく有権者にもある。

 軟弱地盤の改良工事もまともに行えない状況で、これ以上予算を浪費するのは愚の骨頂だ。

 自公政権を倒して、まずは工事を中断させる政治状況をつくり出したい。

 

7月11日の美謝川切り替え工事と辺野古弾薬庫工事の様子

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 上の一連の写真は、美謝川切り替え工事現場の様子を辺野古ダム側から辺野古弾薬庫側に移動しながら撮ったものだ。

 辺野古ダム側は森が切り崩されて通路が拓かれ、重機が移動するための鉄板が敷かれている。

 出入口のフェンスの中には10台のダンプトラックが入っていて、1日に3回、新工事用ゲートから資材を搬入する際に、美謝川切り替え工事で出た土砂を運び込んでいる。

 現在も周辺の森の伐採が進められていて、この日も森の奥で木を倒す音が聞こえていた。

 上の3枚は辺野古ダムの方から撮った写真で、ダムに下りる階段が作られ、岸辺近くでボーリング調査が行われていた。

 辺野古弾薬庫の商業用ゲート建設予定地は、排水施設を設置したあとに谷間が埋め立てられ、整地作業が進んでいる。

 人口の少ない沖縄島北部地域に海兵隊基地を集中すれば、中南部住民の関心が薄らぎ、沖縄の抵抗運動を分断して弱体化できる。それが日本政府の狙いである。

 今でさえ沖縄は中南部への人口集中と北部・離島地域の過疎化が進んでいる。

 それがさらに悪化すれば、人口減少と高齢化で北部・離島地域の生活基盤が崩壊しかねない。

 沖縄島北部地域(ヤンバル)に生まれ育った者にとって、辺野古新基地は基地被害や自然破壊をもたらすだけでなく、地域住民の生活基盤を破壊する問題でもある。

 新基地関連工事を請け負った一部の企業が儲かっても、それは一時的なものであり、地域社会は基地被害に苦しみ続け、衰退していく。

 この風景の向こうに見えるのは、ヤンバルの暗い将来である。傍観していてはいけない。

 

雑誌『琉球』7月号んかい、わんがロングインタビューぬ載といびーん

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 雑誌『琉球』7月号に私のロングインタビューが載っています。

 沖縄の言葉や文化、沖縄戦、基地問題などかなり長く話をさせてもらいました。

 同誌の5月号には、大江・岩波沖縄戦裁判が起こった背景について書いた評論が載っています。

 併せて読んでいただけると有難いです。

 

新工事用ゲート前で資材搬入に抗議

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 16日(水)は午前11時45分頃、辺野古弾薬庫近くの新工事用ゲート前に行き、この日2回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。

 ゲート前への座り込みや工事車両の記録など、全体で28人の市民が集まり、辺野古新基地建設反対!を訴えた。

 参議院選挙も終盤に入り、外国人差別が「政策」の名のもとに街頭で叫ばれている。

 しかし、「日本人ファースト」を口にする者たちが攻撃対象としている外国人は弱い立場に置かれている人たちで、日本・沖縄で我が物顔でふるまっている米軍に対する批判は聞こえない。

 沖縄のメディアは15日に石垣市の伊野田漁港で、市に通知もしないで米軍が救難訓練を行ったことを報じている。

 沖縄県や沖縄防衛局にも米軍からの事前の連絡はなかったという。

 民間の漁港内で米軍が勝手に訓練をして事故が起こったら、誰がどう責任を取るのだろうか。

 沖縄防衛局にも連絡がなかったのだから、日本政府も知らなかったのではないか。選挙のさなかだというのに、政府・自民党もなめられたものだ。

 米軍にいいようにあしらわれ、さらに血税をはたいて新しい基地まで造ってやる。この愚かさこそ日本人まず脱すべきものだ。

 2回目の資材搬入は護岸建設や根固め袋材などに使用する石材が中心で、他に生コンのミキサー車、路盤材、砂、砂利など生コンプラントの原料、美謝川切り替え工事現場から出た赤土などが運び込まれた。

 国頭の鉱山からは距離があるので、仮置き用の土砂は1回目と3回目に搬入されている。

 紫外線対策で長袖を着て、日傘を用意している人も多かった。

 炎天下での抗議行動は水も欠かせない。熱中症対策をして頑張りましょう。

 


大浦湾から作業船が次々と出ていった。ぬーやるばーが?

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 16日(月)は新工事用ゲートの抗議行動に参加する前、午前11時42分頃に辺野古弾薬庫側の歩道から大浦湾の様子を見た。

 いつもはキャンプ・シュワブの陸近くで作業をしているバックホウ浚渫船の姿がなく、周りを囲っている汚濁防止膜も撤去されていた。

 軟弱地盤の海底に砂を撒くトレミー船もサルベージ船が周りを動いてアンカーを上げ、移動の準備をしていた。

 K8護岸にはランプウェイ台船が2隻接岸していて、護岸上にはダンプトラックが並び、1隻から土砂を陸揚げしていた。

 上の写真でK8護岸の向こうに見えるランプウェイ台船は、土砂の陸揚げを役目にしている明神3号で、大浦湾を出て沖を移動していた。

 午後1時29分頃、豊原の高台から大浦湾の様子を見た。

 大浦湾の埋め立てに使用する土砂の仮置き作業が続いていた。

 午後2時28分頃、瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。

 A護岸の鋼管矢板の打ち込み作業を行うスパッド台船が湾内を移動していて、午後2時49分頃に航路を抜け、大浦湾から沖に出ていった。

 長島近くに停泊していたバージ船もタグボートに曳航されて大浦湾を出ていった。

 さらにトレミー船も後に続き、埋め立てに向けて工事を行っていた作業船が、次々と大浦湾から出ていった。

 いつもは石材を投下している海上ヤードのランプウェイ台船は、午前中で大浦湾を出ており、汚濁防止用の囲いも撤去されていた。

 K8護岸も土砂の陸揚げを終えて、ランプウェイ台船は大浦湾を出ていた。

 フィリピン付近の熱帯低気圧が明日にも台風になるとの予報が出ているが、進路は南シナ海方向で沖縄島への影響はなさそうだ。

 今すぐ台風対策をする必要はないはずだが、選挙対策なのか、それ以外の理由があるのか。

 6月10日頃に大浦湾から出ていったサンドコンパクション船が一か月以上も大浦湾に戻れず、軟弱地盤改良工事の再開のめどが立たない中で、他の工事も進められなくなったのか。

 いずれにしろ、工事が中断して進まないのはいいことだ。ゆーしったいやさ。

 ただ、陸側の工事は進められている。

 工事用仮設道路の建設によって砂浜が無残な状態となっている。

 この付近の海域は海草が茂り、ジュゴンの餌場となっていたのに、鉄の柱が打ち込まれ、潮の流れも変わっているだろう。

 10年前はこの砂浜の前でもカヌーで抗議行動を行っていた。いまは近寄れず、ここまで破壊が進んだことが無念だ。

 N9護岸の被覆ブロック設置が終わっていた。内側への土砂投入がいつ行われるか。その前に工事を中断に追い込みたい。

 米軍のために私たちの税金を浪費して、これ以上工事を進めさせてはいけない。

 ゲート前でも海でも参議院選挙でも、辺野古新基地建設反対!の意思を示しましょう。

 

イソヒヨドリとシロガシラ

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 家の庭には日に何度かウミピヨシ(イソヒヨドリ)がやってきて、ヒレサンショウについているアゲハチョウの青虫を食べている。姿も鳴き声もきれいな鳥だ。

 シロガシラは台湾から持ち込まれ、沖縄島の南部で繁殖していたが、今では北部でもふつうに見られる。

 こちらも姿、鳴き声ともにきれいな鳥で、庭の芙蓉の木にとまって虫を見つけていた。

 パソコンや本に向かっている合間に、庭に来た小鳥を眺めて楽しんでいる。

 



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