18日は朝、海上抗議行動に参加するため辺野古のテント2に行ったのだが、前日発生したチリ地震により津波注意報が出たため、カヌーも船も海に出ずに待機となった。時間があったので、カヌーメンバーで草刈りや桑の木の剪定作業などを行ない、あとはテントでゆんたく。海上作業も行われておらず、作業船が午前中で作業中止を決定したと連絡があり、カヌーチームも午前中で活動を終えた。
昼食をとったあと、午後はキャンプ・シュワーブのゲート前に立って、基地に出入りする米軍車両やYナンバーの米兵車両に抗議を行った。海上作業は行われなかったが、キャンプ・シュワブの射撃演習場では早朝から小銃の射撃音が鳴り響いていた。基地の中に咲くアカバナーが風に揺れる。背後の道路の先に射撃演習場がある。
ゲート前に立っていると、小銃を手にした米兵を載せ、トラックやハマ―、バスがくり返し出入りする。沖縄で訓練をした米兵たちが朝鮮半島やベトナム、イラク、アフガニスタンで何をしてきたか。そのことを考えれば、日本は戦後70年間平和国家であった、などと軽々しく口にすることはできない。自衛隊が戦場で米軍と一緒に銃を撃たなかったとはいえ、米軍の侵略戦争をずっと支えてきたのが日本であり沖縄である。その加害性を自覚しない「平和運動」は殺される側の人たちには通用しない。
抗議に笑っている米兵たちも、いずれ戦場で死ぬか負傷し、心身に深い傷を負う時がくる。国を守るといえば聞こえはいいが、自国が攻められているわけでもないのに外国に行き、市民を巻き添えにして死傷させ、自らも傷つく。そういう米軍とともに集団的自衛権を行使して、自衛隊も一線を越えようとしている。国会前で戦争法案反対の声をあげている人たちのことを思いながら、ゲート前で抗議を続けた。
米軍車両に抗議していたら、軍の警備員たちが出てきて、双眼鏡やビデオカメラを向け始めた。しばらくして引き上げたが、ゲート前では2日続けて抗議メンバーが県警に拘束されている。名護署に抗議に行っている人が多く、テントの方は人が少なかったが、それでも交代で発言が続けられていて、私もカヌーチームの報告をさせてもらった。
昨日拘束されたメンバーは今日の4時ごろ解放されたとのこと。安倍政権による弾圧強化を許してはならない。さらに多くの人でゲート前行動をたたかいましょう。多くの人が集まることが、弾圧を跳ね返す一番の力になります。翁長知事の承認取り消しを支える運動をゲート前と海上から作り出しましょう。
9月18日は沖縄では「島くとぅばの日」だった。島くとぅばで書かれた気合の入ったむしろ旗が、あちこちに掲げられていた。それにしても、今は亡きO議員も、自分のセリフが沖縄でこんなに長く語り継がれるとは思っていなかっただろう。「島ぐるみ」と並んで沖縄戦後史の流行語大賞かもしれない。腐り米軍たーぺーくなーういぽーてぃ、うちなーぬ島、栄え(さけー)らちいかやびら。