26日は午後からキャンプ・シュワーブのゲート前に行った。旧盆にもかかわらず、米軍は演習を続けていて、ボンネットにバラ線を乗せたハマーやハンビー、大型トラックが出入りし、国道を行き交う、いつもの光景がくり返されている。在沖米軍は沖縄の歴史や伝統文化を尊重するかのように広報するが、それがいかにまやかしであるかが露呈している。
白と青の2台のトラックが赤土をくり返し搬出していた。基地内のどのような作業で出た土なのか、注意が必要だろう。
午後3時過ぎから旧ゲート前で、大浦崎収容所で亡くなった皆さんと、辺野古新基地建設反対をになってきた故人の霊をお迎えするウンケーが行われた。ウンケージューシーや果物、酒などをお供えし、読経のあとみんなで線香を上げ手を合わせた。
伊波義安さんや安次富浩さん(ヘリ基地反対協共同代表)、具志堅隆松さん(沖縄戦遺骨収集ボランティア「がまふやー」代表)の挨拶もあった。祭壇には具志堅さんが調べた、大浦崎収容所で亡くなった方の名簿も置かれた。具志堅さんは、キャンプ・シュワブ内の遺骨収集が早急に進められるよう、取り組みを強めようと訴えていた。
ウンケーの間、CH53Eヘリ2機が旧ゲート上空や周辺を低空で旋回飛行していた。ふだん、このような形で同機が飛行訓練をすることはない。わざわざこの日、この時間、この場所に合わせて飛んでいるのであり、ウンケーが始まった直後に飛び始め、終わる直前に飛び去ったことからも明らかである。ここまで嫌がらせをやるか、と参加者はみな憤っていた。
米軍は8月12日にうるま市沖でMH60ヘリが墜落事故を起こしたばかりだ。本来なら、旧盆期間中ということと合わせて、ヘリの訓練を自粛し、事故の原因究明と住民への説明を最優先すべきだ。それをしないで、これ見よがしにウンケーをしている市民の上を低空飛行し、爆音を響かせる。どこまで沖縄県民を愚弄しているのだろうか。
70年も沖縄に駐留してきて、今さら沖縄の伝統行事を知らない、とは言わせない。1995年9月4日の事件からもうすぐ20年を迎えるが、基地をめぐる沖縄の状況は何も変わっていない。いや、自衛隊の強化、米軍との一体化を見ればむしろ悪化している。沖縄は米軍の軍事植民地ではないことを、沖縄人は自らの行動で示しましょう。そうしなければ、米軍は増長する一方であり、その先には大きな事件、事故が待っている。
ウンケーのあと、テントの前でエイサーやカチャーシーを踊って盛り上がった。
辺野古文庫の前に「米軍砲撃演習阻止闘争 国頭村民の闘い 1970年/キセンバルの闘い 1972~」と題した写真が展示されている。大城弘明さん(元沖縄タイムス写真部長)が撮影したもので、沖縄の反戦・反基地闘争の歴史を伝える貴重な写真。ぜひ多くの人に見てほしい。
午後5時過ぎに実家に帰り、ウンケーの準備をして門の前にローソクをともした。ゲート前の抗議行動も明後日のウークイまで休みとなる。帰ってきた祖霊たちに、恥ずかしくない沖縄にしたいものだ。