吉村昭著『総員起シ』(文春文庫)に「剃刀」という短編小説が収められている。摩文仁の司令部壕で牛島満司令官と長勇参謀長がどのように最期を迎えたかについて、八原博通高級参謀の回想に疑問を抱いた著者が、その実相を探ろうとする内容である。
〈私は、沖縄戦の終了時に軍司令部壕でどのようなことが起こったかについて関心をいだいた。それには最後まで壕内にいて生き残った人に会う必要があったが、幸い軍司令部壕が首里にあった頃その内部に入ったことのある人から、軍司令部に一人の理髪師がいたことをきき出した。……それは、那覇で現在も理髪店をひらいている比嘉仁才という人であった〉(P151)。
作品は〈私〉が比嘉の理髪店を訪ね、〈バリカンを動かしながら重い口調で話しはじめた〉内容をまとめた形になっている。その中に首里の司令部壕内にいた辻の女性たちの話が出てくる。
著者の吉村は徹底した取材にふまえて、事実に基づく小説を書くことに終生こだわった小説家である。〈文庫本のためのあとがき〉に吉村はこう記している。
〈太平洋戦争には、世に知られぬ劇的な出来事が数多く実在した。戦域は広大であったが、ここにおさめた五つの短編は、日本領土内にいた人々が接した戦争を主題としたもので、私は正確を期するため力の及ぶ範囲内で取材をし、書き上げた〉(P285)。
〈「剃刀」は、沖縄戦に兵士として参加した一中学生を主人公とした長編小説の副産物として生まれた短編である。老いた理髪師の目に映じた戦闘とその終結に、私は沖縄戦の一面を見た〉(P286)。
あとがきに出てくる〈一中学生を主人公とした長編小説〉とは、『殉国−陸軍二等兵比嘉真一』(文春文庫など)である。「剃刀」は小説ではあるが、以上のような吉村の取材にふまえた作品として、参考になると思うので紹介したい。以下に引用する。
〈四月一日、アメリカ軍の慶良間列島につぐ沖縄本島への上陸後、壕の中はあわただしい空気につつまれた。将校の出入りが激しく、その間隙をぬって伝令が駆けこみ、そして走り出てゆく。前線からの電話も絶え間なくかかり、司令部員は殺気だった声で指示をあたえる。壕の外は、艦砲射撃と銃爆撃が繰返されて、砲弾や爆弾の落下する音が遠雷のように壕内の空気をふるわせていた。
比嘉は、そうした中を放心したように走り廻っていた。指令部員は頭を刈ることもなくなって、比嘉は、壕内で雑役のようなことをすることが多くなった。それでも時折り「床屋、頭を刈れ」と、指令部員の声がかかる。
かれは、その度に道具箱を手に急ぎ、将校の頭にバリカンを当て剃刀を手にとった。
牛島司令官から、散髪を命じられる時もあった。かれは、身をかたくして牛島中将の頭を刈り、剃刀を顔に当てた。司令官は、常に黙って正坐し眼を閉じていた。
比嘉は、軍司令官が高潔な将軍であることを知っていた。司令官は、将校にはきびしく注意するが、兵や軍属に向ける眼には温かい慈しみの光が浮かんでいる。その司令官の頭髪を刈り、髭を剃刀で剃ることはこの上ない光栄だと思った。
戦闘は苛烈さを増しているらしく、日本軍守備隊は、夜間の斬込み突撃を敵陣地に繰返しているという。かれは、軍司令部から急造地雷を背にした下士官や兵が、照明弾で明るんだ壕外に出てゆくのをしばしば眼にした。軍の士気がきわめて旺盛であることは、戦闘経験のないかれにも十分に察しられた。
しかし、そのうちにかれは他の軍属から思いもかけぬことを耳にした。それは、壕の奥に遊里の辻町にいた女たちが起居しているという話であった。
辻は那覇市にあって、三百軒ほどの娼家が軒を並べていた。辻の女は情がこまやかだという評判は、内地にも伝わっていた。
しかし、その辻も前年の十月十日の大空襲で焼き払われ、女たちは住む場所を失った。軍は、これらの遊女の大半を慰安婦として使うことに定め、トラックで女たちを各部隊に送った。そして、極く少数の女を各司令部の炊事婦に徴傭した。
軍司令部にも、それらの女たちが炊事婦として雇われていたが、同僚の軍属たちの話によると、女たちは慰安婦も兼ねているという。
「部屋のすき間からのぞいてみたら、赤いふとんが敷かれていて、白粉をぬった女が坐っているんだ」
軍属は、声をひそめて言った。
軍司令部壕は、たとえ砲爆撃を受けても破壊されることはなく、敵が壕に接近してこないかぎり死の危険はない。壕外では、多くの将兵や防衛隊員、中学生、女学生たちが戦死しているというのに、司令部壕に慰安婦のいることは、比嘉にも納得できぬことに思えた。
女に関する情報は、次第に現実味のあるものになっていった。司令部壕には十名近い慰安婦がいて、一部の将校はそれらの女たちに接している。壕の奥まった部屋は、それらの享楽の密室であるというのだ。
比嘉は、その後、どのような将校が噂にのぼっているのかを知るようになった。その中には、兵や軍属をよく殴るB29と渾名されている気性の荒い副官の名もあったし、漁色家として名高い中佐の名もあった。が、牛島司令官はそうした女の存在を嫌っているという話も伝えられた。つまり慰安婦は、軍に不可欠のものという考え方をもつ一部将校によって利用されているらしかった〉(P153〜155)。
その後、戦況の悪化によって第32軍司令部は南部に撤退し、〈摩文仁の崖近くにある軍司令部壕〉で最後を迎えることになる。死を前にした牛島司令官と長参謀長の散髪をした翌朝、比嘉は次のことを知らされる。
〈夜が明けはじめた頃、比嘉は、葛野高級副官から指示を得るため軍司令部壕に近づいた。壕の中には、静寂が広がっていた。
かれは、夜明けの気配がしのび入っている壕の中へ入っていったが、壕の奥から歩いてくる人影に気づいて足をとめた。敵兵か、とかれは体をすくませた。すでに壕は敵に占領されているのかも知れぬと思った。
近づいてきた人影も停止してこちらをうかがっている。
「比嘉軍属か」
という声がその影からもれた。
「はい」
と、答えると、葛野中佐の当番兵である木村上等兵が歩み寄ってきた。
「軍司令官殿も参謀長殿もすべて自決なされた」
木村は、うつろな眼で言った。
牛島軍司令官と長参謀長は下着をすべてかえ、まず参謀長が割腹し、剣道に長じた坂口大尉が介錯した。ついで軍司令官が腹に短刀を突き立て、再び坂口大尉が刀をふり下ろしたが、流れ弾でくだけ散った岩片で手に負傷していた坂口大尉は、介錯を仕損じた。そのため藤田曹長が刀をとって、介錯をしたという。
「他の上官殿たちは、すべてピストル自殺した。軍司令官殿と参謀長殿の首は、吉野中尉殿がどこかに埋めたらしい」
木村上等兵は、沈んだ声で言った。そして、ふと思いついたように、
「辻の女も二人、抱き親の婆さんとともにピストルで射殺された」
と、つけ加えると壕の奥を振返った。ローソクの灯で淡く明るんだ壕の中からは、濃厚な血の匂いがただよい出ていた。
比嘉は、足のすくむのを感じながら壕口から外に出た。自分がどのように身を処してよいのかわからぬままに、かれは明るみはじめた岩だらけの斜面を管理壕の方へ降りて行った〉(P172〜173)。
作品の最後を、吉村は次のように記して終わっている。
〈「ピストルで射殺されたという辻の女は、若かったのでしょうか」
という私の問いに、
「二十二、三歳の女だと言っていました」
と、比嘉氏は答えた。
戦場経験のない私には、それらの女を最後まで残した指令部員の気持ちが理解できない。
私の接した人々から耳にした多くの将兵は、沖縄県を死守するために身を捧げて戦った。そうした中で、その一理髪店主の口にした女の存在は戦争というものの奇怪さをしめす回想であった〉(P174)。