22日は午前9時過ぎにカヌー13艇で瀬嵩の浜を出発した。先週末は天気が崩れ、20日(土)は朝から激しい雷雨となり、海上抗議行動も中止となった。22日も雲の動きを見ながらの行動となった。
海上行動が休みとなった21日(日)にスパッド台船が移動したことが報じられていて、浜からも確認できた。カヌーを漕いでいくと、青い船体の大型クレーン付台船の上にスパッド台船1隻が載せられている(辺野古弾薬庫のゲートからもよく見える)。このスパッド台船は役割を終えたようだ。
3隻のスパッド台船のうち1隻は、辺野古崎西側の陸地近くに移動していた。周りをフロートで囲ってあるようなので、浅場でのボーリング調査に着手していると思われる。
3隻のスパッド台船のうち一番沖の方にあった1隻も、台船部分を海面まで下ろしていて、間もなくしてタグボートに引かれ移動を始めた。陸の方に向かって進んでいたので、これも浅場での調査を行うのかもしれないが、最後までは確認できなかった。
抗議行動の途中で雨が激しくなり、急きょ抗議船でカヌーを曳航してもらい、辺野古の浜に戻った。風もかなり強くなり、カヌーで海に出るのは危険な状態になったので、この日の行動は午前中で切り上げた。スパッド台船の新たな作業位置を確認した上で、24日以降、抗議行動が再開される。
明日23日は「沖縄戦慰霊の日」で海上抗議行動は休みとなる。沖縄防衛局もこういう日に工事を強行する愚かなことをやってはいけない。それこそ沖縄県民を愚弄するものだ。それにしても辺野古新基地建設を強行する安倍晋三が、沖縄戦の犠牲者の遺族を前によくもあいさつできるものだ。鉄面皮とはこういう政治家のことをいう。
沖縄戦から70年ということで、県内のメディアでは連日特集が組まれ、体験者の証言が紹介されている。それを見たり読んだりするたびに心が重くなり、つらくなる。自分も歳を取って証言者の年代に近くなったせいか、30代、40代の頃よりも、証言がより切実に迫ってくる。それだけに大浦湾に出て海底ボーリング調査が進められているのを目にすると、やりきれない思いが募る。
以前、鹿児島県で話を聞いた元日本兵の方が、摩文仁の海岸に追いつめられたとき、母親が幼い子どもの頭をつかまえて岩に何度も叩きつけ、海に投げ込むと自分も崖から飛び降りるのを目撃したと話していた。バンザイクリフはサイパンやテニアンだけのことではない。摩文仁の海岸でも同じことは起こっていたのだ。
戦場で米軍に収容された女性たちの身に何が起こったのか。つらい体験をした人たちは証言を残さない。殺された人たちも何も語れない。住民虐殺は日本兵だけがやったのではない。何万人という住民が混在しているのを知りながら無差別の爆撃、砲撃を行い、投降勧告に従わなかったからといって壕やガマ(洞窟)にガソリンを流して爆弾を投げ込み、火炎放射器で焼き殺したのが米軍の実態である。
そうやって占領した島に「日本本土」侵攻のための軍事基地を造り、70年経った今も米軍は自由勝手に使っている。それを喜んで容認するだけでなく、新たな基地まで造ってやろうというのが安倍首相だ。沖縄全戦没者追悼式には、米軍と自衛隊の幹部も出席する。ボディチエックされ、手荷物検査を受けなければ会場に入れない追悼式とは何なのか。
各地に残る慰霊碑の前で、あるいは家の仏壇に向かって、戦死した肉親のことを思い、手を合わせているお年寄りたちの姿にこそ、戦争への悲しみと怒りが凝縮されている。老人ホームでひっそりと行われる慰霊祭もあるのだ。島の全土が戦場となった沖縄で、どれだけの数の慰霊祭が行われていることか。