23日は土曜日で早朝から多くの人が集まり、カヌーチームは29人が24艇のカヌーに乗って松田ぬ浜を出発した。人が多くて2人乗りのカヌーもあり、運動の広がりと熱意が感じられた。フロート越えや長時間の使用、海保の弾圧などでカヌーの傷みも早い。古いカヌーは使えなくなり、新しいカヌーをカンパしてもらい補充しているが、近日中に5隻が追加されるとのこと。深く感謝したい。
週末、キャンプ・シュワブ・フェストが開かれていて、解体工事は休みとなっていた。瓦礫が積まれた工事現場を左手に見ながら、辺野古崎に向かった。前日の午後、辺野古崎から長島に向けてフロートを二重にする作業が行われていて、腹立たしさを覚えながらフロート沿いに長島の近くまで行った。
23日は陸上だけでなく、海上の作業も行われていなかった。クレーン付台船やスパッド台船もまだ、大浦湾に姿を見せていない。フロート付近で待機しながら、カヌーを漕いだり、フロート越えの練習をした。抗議船からはマイクを手に抗議の声を上げたり、歌をうたって辺野古新基地建設反対を訴えていた。
午前11時までフロート近くで抗議をしたあと、逆風を漕いで松田ぬ浜に戻った。途中の岩場ではアジサシが舞っていた。埋め立てによる新基地建設は、海の破壊だけでなく鳥類の生息環境も脅かす。地域住民の生活に及ぼす悪影響も言うまでもない。基地で街が栄えるなら、辺野古をはじめとした沖縄島東海岸の基地の街は大きく発展しているはずだ。しかし、実態はどうか。
ベトナム戦争当時の賑わいが、思い出話としてどれだけ語られてきただろうか。辺野古の皆さんからもそういう話は聞く。だが、1ドル=360円でドルが力を持っていた昔の夢が再現することはない。米軍基地の恩恵を口にするヤマトゥンチューもいるが、では自分の地域で米軍基地を受け入れるかといえば否だ。
早朝から軍事基地に反対する時間とエネルギーを、もっと生産的な活動に向けられていたら、沖縄はあらゆる分野でもっと発展できただろう。基地は沖縄にとって経済だけでなく、文化をふくめたあらゆる分野での阻害要因である。
夕方からゲート前に応援に行った。午後9時まで基地の監視を行ったが、テントに泊まり込んで24時間の監視・抗議態勢を続けている皆さんには頭が下がる。
好きでこういうことをやっている人はいない。やらざるを得ないからやっている。沖縄のこの状況を1日も早く終わらせなければならない。