29日はティダの会で伊江島に行き、ユリ祭りを楽しみながら戦跡地や米軍基地などを見て回った。会の代表が伊江島出身の戦争体験者なので、車で案内してもらいながら丁寧な説明を受けた。ユリは今が見頃で、ゴールデンウィークに入ってフェリーも増便され、多くの見学者が訪れていた。沖縄に自生するテッポウユリだけでなく、外国で品種改良されたユリも数多く展示されていて、とても興味深かった。
父が花や盆栽が好きだったので、子どもの頃から山に入って盆栽になる木を採りに連れて行かれた。そのせいで花や木が好きなのだが、実家の庭や裏庭には父が近所の森から採ってきて植えたユリが種から増え、あちこちに生えている。名護の七曲がりも自生するユリの名所だった。沖縄のこの季節はユリやサンニン、クチナシ、イジュ、コンロンカなど白い花がうりずんの緑の中に咲く。
伊江島のユリ祭りは今年で20回だが、見に来たのは初めてだった。いつもキャンプ・シュワブのゲート前で抗議行動を頑張っている辺野古のみなさんも、今日はゆっくりと花を楽しんだ…、と書きたいのだが、会場からオスプレイが飛ぶぶ様子が見え、爆音も聞こえてきた。沖縄戦で最激戦地の一つだった伊江島は、「戦後」70年間、米軍基地の被害で苦しめられてもきた。
もう20年近く前のことだが、沖縄県高教組のコザ高校分会で伊江島を訪ねて1泊研修し、阿波根昌鴻さんから話をうかがった。生の声をじかに聴けたのは、今になって貴重な体験だったと改めて思う。ユリ祭りの会場で昼食をとったが、その前後は島の戦跡や景勝地などをティダの会代表の山城さんに案内してもらった。
写真は上からアーニー・パイルの記念碑、ニィヤティヤガマ、米軍演習場、団結小屋、米軍基地、湧出(わじ)、アハシャガマ、ハイビスカス園、伊江島タッチュー、公益質屋跡、ニーバンガズィマール。山城代表からは、黙認耕作地と米軍用地料とのからみで、基地問題について語ることが難しい島の現状も語られていた。米軍基地を受け入れさせるために、住民を分断して統治する、という日本政府・防衛省の卑劣な手法が徹底して行われてきたのだ。
農地改良が進んだ島の畑は葉煙草の栽培が目立った。私が子どもの頃は今帰仁村でもよく見られた右傾でなつかしかった。ピンク色のきれいな花が咲く。当時はあちこちに葉煙草の乾燥場があって、実家の前にもあった独特の建物は記憶に残る村の風景の一つだ。