6日は旧の16日(じゅうるくにち)だった。ぐそー(あの世)では正月を迎えるということで、沖縄では墓を掃除して花を生け、仏壇にご馳走や餅を供える。午後から今帰仁村に帰って、父方と母方の二ヵ所の墓を掃除してきた。
沖縄の墓といえば亀甲墓や破風墓が知られているが、戦前まで石造りの立派な墓を持てたのは、旧士族や金持ちの家くらいで、やんばるの貧しい民百姓は森や海岸、河口などの崖の下を掘り抜いて墓を造っていた。戦後、コンクリートで新しい墓を造り、厨子瓶を移した家が増え、沖縄でよく目にする墓地の風景ができた。父方の墓も35年ほど前に新しく造ったが、母方の方は森の中にある古い掘り抜きの墓を今も使っている。
新しい墓を造ってはどうか、という話もあるが、道路のそばにあるにもかかわらず木々に囲まれひっそりとして、苔むした墓やおいしげるゴーイなど神聖さを感じさせる空間を作っている。何よりも、母にとっては子どもの頃、祖父や祖母と一緒に手を合わせた思い出があり、それらを大事にしたい。祖父は沖縄戦の少し前に胃を悪くして亡くなっているのだが、衰弱して途中で休みを取りながら墓掃除に来たことなどを、母が問わず語りに口にする。70年余が経っても変わらない場所は、この時代に貴重である。
この70年、とりわけ日本復帰後の沖縄の変化は激しく、森は切り開かれ、海岸線は埋め立てられ、コンクリートで固められていった。日本復帰して海洋博覧会が開かれる1970年代前半、乱開発という言葉がメディアでしきりに使われるようになった。それに対する批判や反対の声、運動はその頃からあった。学生時代には反CTSの集会やデモにも参加した。しかし、いまだに破壊は止まらない。しかも、辺野古や高江では米軍に新たな基地・訓練施設を提供するための破壊なのだ。
辺野古の海と高江の森を守りましょう。沖縄の海と森が米軍と自衛隊の殺戮訓練の場になっている。この現実を変えましょう。そのためにも、この島で70年前に起こったこと、日本がアジア諸国に行った侵略の歴史を学び直しましょう。